有喜 権現神社 鳥居のない神社
場所は有喜の港から、西側の中通町のある山へ進み、麓の集落から少し山に登った場所にある。
この神社を探すのに苦労した。道はこれであっているのに鳥居が見つからなかったからだ。
道脇に石段を見つけ登ってみると、そこにあった。
境内は広く土俵も有る。ちゃんとした神社の体裁は整っている。
しかし、鳥居がないのだ。
これだけ大きい神社で、鳥居がないのは初めてだった。
境内は草はらで広く、土俵にビニールシートがかぶせてあった。
境内を進み、石垣の階段を上がると、両脇に立派な石灯籠があり、正面に小さいがきれいな社殿がある。
拝殿入り口には鳥居もあり、拝殿の中を見ると、何もない板張りの拝殿があり、その奥には神殿があった。
気になったので近くまで寄ってみると、神棚の上に小さな神殿があり、三体祀られている。
一見神様のようだが石像が祀られて、その前には線香立てが置いている。
右の神殿は、どうも菅原道真らしき石像だ。
左も僅かだが顔が見えるがわからない。
中央の仏像も全体が覆われていたが、頭のところだけ見える。
この特徴的な螺髪はお釈迦様だろう。
表に出て後ろに回り込むと、立派な神殿の形式で建てられている。
ふーん。謎の神社だ。
荒れ果ててはいないし、人里からそれほど遠くもない。
山の名前は不明だが、この山の裾野には神社が点在している。
この権現神社の西北には天満宮、そのまた北側は橘(熊野)神社、その北側には善神社、山の中央には阿弥陀大明神がある。
山裾に神社があるのは不思議じゃないんだが、一番有喜港に近い権現神社に鳥居がないのが気になる。
権現神社
権現神社は長崎にもたくさんある。
大体が権現の前に名詞がついていて、例えば立岩権現とか千々大権現とかである。
だが権現神社だけの名称がないわけではない。近くだと唐比海岸の近くにある。
権現とは仏、菩薩が人々を救うため、日本の神が仮の姿をとって現れることだ。
本地垂迹説という神仏習合の考え方の一つで、千年ほど日本で行われた、神仏の祭り方である。
ただ、明治維新の神仏分離令で権現社・権現宮・権現堂の多くが廃され、「権現」の神号や修験道が一時禁止されたという経緯がある。
ここの神社は、町に近いので神仏分離令を進める役人の指図に従ったかも。
普通、お釈迦様を祀っていたら、祭神を天照大御神に変更し神社名も変更して存続を図るのだが、ここの神社はそうしなかったようだ。
そして神社の象徴の鳥居を取り払った・・。
まあ想像である。
おそらく地元の郷土史があれば、なにか書いているのだろうが、ネットと僅かな資料しかないので、不明のままである。
最近つくづく思うのだが、ネットは肝心なデータが無い。安易なコピペで構成されているものが大多数である。
どなたか心ある人たちが、郷土史をテキスト化してネットにアップしてくれないだろうか。
今回もそう思った。
長崎神社巡り 諫早市天神町の天満宮 有喜の権現神社 有喜の白髭神社