貝津町 歳神社 五穀豊穣の神を祀る

〒854-0063 長崎県諫早市貝津町 歳神社

歳神社 一の鳥居

歳神社 入口

歳神社 二の鳥居

歳神社

歳神社

 

長崎と諫早を結ぶ207号線沿いに有る真津山郵便局から脇道に入る。諫早から行くと大きく右折をすることになるので注意。

民家の中の細い道を少し行くと、大きな鳥居が有る。

鳥居の扁額には歳大明神と書かれている。いわゆる神仏習合で、明神様ということになる。

神社は立派な低い石垣で囲まれていて、一の鳥居を過ぎて二の鳥居の奥に、立派な社殿が有る。

神仏習合の神様なので、社殿は瓦屋根だ。

大きな狛犬が拝殿の前にあり、拝殿の入り口上には、大きなしめ縄が飾られている。

3百年祭記念碑

馬頭観音?

拝殿入り口

拝殿

広い境内に、3百年祭記念碑という石版があり、脇に顔が三つ有る馬頭観音らしき仏像が建てられている。

のぼりを立てる高い棒も二本。拝殿の中を見ると板張りで、キレイに整頓されている。

天井には絵がはめられているが、最近のもので、天井画は日大高校の美術科の生徒たちの作品だという。

神殿も立派で、古いが格式が感じられる。

歳神社 神殿

創建 寛文10年(1670)江戸時代初期である。

歳神社由来がある。

 寛文九年酉卯月、兵部甚エ門、小舟にて船越の館より揚帆なし、「かきつ」の小丘に着き、御歳三神を祀る。葦多にして、行くに難し(延宝九年四月記より)

佐賀藩日記十二巻九段より謹写 上記裏面に記載を書き写す
註釈 「かきつ」とあるは蛎が多く生えている海辺で、「かいつ」の謂ならん
御歳三神 大年神、御年神、若年神 五穀豊穣の神と釈せられる

この記録によれば、作られた当時は、湿地帯だったようで、地名も牡蠣津が貝津になったとある。

現在の船越の場所は、諫早消防署の近くで半造川が流れている。貝津まで結構な距離が有る。

という事は船越の地域まで海が流れ込んでいたのだろう。

現在の諫早の地形では、想像するのが難しい。

「とし」は、もともと穀物などの実り、収穫を意味したが、その収穫に1年を要するところから年を意味するようになったとある。

簡単に言えば今年の豊作を祈る神ということだろうか。

諫早は、諫早平野があり穀倉地帯である。なので歳神社が多い。ちなみに平地のない長崎市には、歳神社はない。

諫早の歳神社の境内は広い。おそらく祈願祭や収穫祭、秋祭りなどを行うためだろう。

馬頭観音

境内には、顔が三つの仏像が有る。よく見ると手の数も多い。

写真で台座の文字を見るのだが、○頭観音・・と書かれているように見える。

そうすると観音菩薩の変化身の1つの馬頭観音だろうか。

だが顔が三つ手が六本といえば、阿修羅もそうである。うーん。しかし場所的に行っても馬頭観音だろうな。

農業は馬も大切にするので、そのために境内脇に設置したのかも知れない。

長崎県は平野が少ないので、歳神社は諫早に集まっているようだ。

境内が広くのどかさを持っている神社である。

歳神社

歳神社

 

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