神浦 黒木神社 大中尾棚田を一望
大瀬戸方面に海岸沿いに進み、神浦港から神浦川に沿って山の方向へ進み、大中尾の棚田を抜けて、更に山道を行くと、道の左側に鳥居がある。
鳥居は白く新しい。
石垣に沿って狭い石段を登ると、左手に白い事務所のような建物が有る。後で思えば、ここが神社だったとわかった。
その先に登る道があり、細い山道を行くと。大きな岩の中に祠が有った。
これが御神体のようだ。祠の中を見ても何も書いていない。
これだけである。
後で調べると、祭神は山の神とあった。
検索で霧氷酒造株式会社のHP http://muhyou.shop-pro.jp/ があり、由来が少し書いていた。
大中尾棚田から少し上に行ったところにあります。
昔は大石が御神休として祀られ、230年後に社が建てられました。とてもきれいな内装で、向かって右手に階段があり、
その上に石碑がありました。
由来に関して詳しく書いている木の板の写真が有るんだが、小さくてところどころ読めない。
なんとか分かるところだけを抜き出す。
1746年・・・大村藩より来りて・・・廣瀬六平・・・昭和50年
なんとかつなげて想像すると、1746年に大村藩よりやってきた人がこの神を祀った。
廣瀬六平がこの祭神を祀り、それ以降、代々廣瀬家で祀る事になり、昭和50年に社殿を建てた。
こんなところだと思う。
230年後という年代が文に有ったが、最初が1746年でそれから230年後という事だろう。
大中尾棚田
黒木神社の下の方には、「日本の棚田百選」に認定された大中尾棚田がある。
「大中尾棚田は開墾されて約260年の歴史がある」という説明文があり、黒木神社が祀られるようになった時代と符合する。
大中尾の棚田の起源は戦国時代から江戸時代とされている。水源が近くになく、4.2km離れた神浦川の上流から水路を使って水を取り入れており、この水路の途中に、七丈が岳というおよそ23mの岳があり、大変な難工事だったと伝えられている。その当時殿様が「千両箱を積んでもできんのか」と工事の人たちに頼み込んで作ったという話もある。
殿様というのは大村藩のことである。
そう言えば、黒き神社の鳥居の登り口には、水が流れていて、御神体に行く道にも水を引いているホースが有った。
この黒木神社付近に水の水路があるのだろう。
この難工事を行った人たちは、山の神の怒りに触れないよう、水路を作ったに違いない。
そのために祀られた神社だったのである。