津久葉町 中核神社 酉の公園(蔦木の森)
場所は諫早の中核工業団地の奥まった山間地に入口がある。「奥まった山間地」とパンフレットに書かれていたので使ったのだが、正確な場所を書くことが出来ない。
駐車場の奥の道の先に赤い鳥居がある。その先を少し行くと、右手に石の鳥居がある。
その扁額には正一位稲荷大明神と書かれている。
小さな橋を渡ると左手に東屋が作られている。
その先には48基の赤い鳥居が石段の参道に立ち並んでいる。
途中左手には、小さい広場があり仏像が二体ほど置かれていた。
更に上ると看板がある。
中核稲荷神社再興御寄進ご芳名
天正八年(西歴1570年)の創設と伝えられる「蔦木のお稲荷様」を地元 久山町のご好意とご理解をいただき諫早中核工業団地の協賛企業でお祭りすることになりました。これを再興し「中核稲荷神社」と称し団地内 参加企業の繁栄と操業の安全、そして從業員の平安を願い当団地のシンボルとしてお祭り致します。再興に当って各社のご好意に添く敬意を表し、ここにご芳名を記顕彰いたします。
原文のまま掲載した。
1570年の創設と伝えられる「蔦木のお稲荷様」を再現したという事である。
更に登ると本殿へ到着する。
神社はこじんまりとした作りで、拝殿の中には御神体の鏡もあった。
うーん。まあ良いかと思う。
しかしパンフレットの「荘厳な林立赤鳥居 安らぎの和風庭園風景」の言葉は、やはり言いすぎだろう。
さらに京都の伏見稲荷大社を真似たようだが、そこまで気負わなくていいと思う。
ただ、中核神社という名前は違和感を感じる。
古い鳥居には正一位稲荷大明神と書いてあった。だから稲荷大明神で良いんじゃないか。
十二支公園
諫早市 とによん(十二・四)公園PDFより
市内各所にある既設の公園の中で、里山や自然の体験に適した場所を全方位的に満遍無く配慮して活用し易いよう魅力を発信広報していこう。との趣旨です。
きっかけは、退職校長会員による公民館講座 “十二支公園” 巡りの成果です。地域の憩いの場として整備された公園でしたが、利用者が少なくなり、地域による維持管理も過疎化等により行き届かなくなっている場所もあります。
それらを[里山公園]として紹介し、 再生活用してもらいたいということです。そして、退職校長会員による「地域の名所巡り ウオーキング」の成果も参考にしながら、旧五町それぞれに “いちおし公園” を地域の 方々に相談しながら、知恵を借りながら選定してみました。
諫早市[ビタミンプロジェクト事業]
なるほどねー。
退職校長先生の発案なので、十二支となったわけか。
【とによん《十二・四》公園】魅力発信事業 名称決定の経緯 PDFより
本事業は、ビタミンの卵事業から着手し、旧諫早市の各地に点在する『十二支公園』に着 目して広くアピールしようということから始まりました。「十二支公園」の魅力発信に繋げ たいという発想でしたが、事業推進途上で、市の担当部局から旧五町を加えた新諫早市に相 応しい公園広報が望ましい旨のご教示をいただきました。その後、構想を一新して五町のイ チオシ公園を加え、五つの公園を方向から捉えた四支公園としてまとめて広報することにしました。
四支 というのは、艮 、巽 、坤 、乾 のことで、これはいずれも方位に関連する漢字で す。小長井と高来が北東の方向にあることで 艮【ウシトラ】の公園、森山が東南の方向に あって 巽【タツミ】の公園、飯盛が南西の方向にあって、坤【ヒツジサル】の公園、多良見が北西の方向にあって 乾【イヌイ】の公園ということになります。元々十二支の支が方 向を表す漢字でもありましたので、方向に因んだ意味の十二支と四支を合わせて「とによん」【十二・四】公園という名称に改め、市の担当者と打合せた結果、名称を決定しました。
趣旨も内容も大体理解した。
稲荷神社の赤い鳥居を観光目的地にしたいのか、インスタ映えで若者を呼び込みたいのか、はたまた今流行りのパワースポットなのか。
どちらにしても、残念ながら「笛吹けど踊らず」になってしまった感が強い。
まあ、発案者が元校長先生グループということで、あまり文句を言うのはやめにする。
信仰ではなく、観光や関心集め目的の作られた神社は、私にとって魅力ゼロだ。
まあ、元校長先生なので、そのあたりはわかってらっしゃると思うのだが・・。
以上。