久山町 花之木神社 菅原道真公が八十六番札所にいる

長崎県諌早市久山町392番地2 花之木神

花之木

墓地

花之木神社

花之木神社 一の鳥居

花之木神社

諌早市久山町の久山川の中流に花之木川が合流していて、その上流に花之木地域があり、神社は花之木の民家の山側にある。道路で言えば県道138号線である。

住所近くに行っても、神社は見えず、5つの自然石の大きな石碑が道の左上にあり、右には墓地群がある。

神社に行くには、民家の中の細い道をそこから登ると、森の中に石段があり、そこが花之木神社の参道になる。

古いがパイプの手すりのついた、しっかりとした石段を上ると一の鳥居。

そこからさらに登ると、開けた場所に出る。

諫江八十八ヶ所八十六番札所

左に菅原道真公像が二体、右に弘法大師像

花之木神社

花之木神社 山神

左手には石垣の上に、祠があり、杭には諫江八十八ヶ所八十六番札所、讃岐国志度寺と書かれている。

お堂の中は、板張りで仏様を祀る棚が作られていて、左に菅原道真公像が二体、右に弘法大師像。

社を出で、その右には石灯籠風の石塔、その横に山神の祠、更にその横には、ブロック壁の物置のような祠らしきものがあり、その中には石塔と思われる石の塊が幾つも祀られている。

花之木神社

花之木神社 二の鳥居

花之木神社

花之木神社 拝殿

花之木神社 神殿

そして右手には、大きい石の鳥居があり扁額には花ノ木神社と書かれている。

鳥居の柱には昭和3年9月と日付が彫られている。

正面に瓦屋根で高床式風の社殿。

黒塗りの格子の拝殿扉から中を見ると、板張りの拝殿とその奥の神殿に繋がる通路がある。

拝殿の中には物がなく、ガランとしていて、神社の幟やポスターが張られている。

外へ出て神殿に回り込む。石垣の上に神殿はあり、いたって普通の木板壁の神殿である。

鬱蒼とした森の中に、諫江八十八ヶ所86番札所と共に神社がある。一言で言えばそんな感じである。

花之木神社

ネットで祭神を調べると、菅原道真とあるが、神社を見ると天神さまを祀っているようには見えない。

菅原道真公は86番札所の社の中に祀られている。

この神社が建てられたのが宝永年間(1705年ほど)とあったが、郷土誌には不明とある。

郷土誌にも花ノ木開拓の事は載っていないので、それ以上の事はわからない。

諫早史談という本に、「花ノ木開拓者立川平兵衛と野田形左衛門の二人も祀る」とあるので、神社は、そちらのほうがメインのようだ。

そう言えば山道の途中の墓には立川という苗字がたくさんあった。という事は石碑の文字は読めなかったが、開拓者の事を書いているのかもしれない。

花之木地区

久山年神社ブログに花之木地区の話が載っていた。

花之木の情報が少ないので、掲載させていただいた。

「久山町花之木地区 龍石権現祭(たついしごんげんさい)」
 安永9年(西暦1780年)の江戸中期、荘厳寺(しょうごんじ=神仏習合時代に現在の諫早神社にあった神宮寺)の住職が花之木地区での法要を済ませ、用事のため近くの寺に向かっていました。
 
途中 この巨石がある山のふもとにさしかかった時、空が急に曇りだし、
ものすごい雷鳴とともに龍が昇天する様子を見たとのこと。住職は驚いて動けないまま、龍が消えるまで ひたすら読経し続けました。
 
我に返った住職は顔色が真っ青なまま元の花之木村に引き返したそうです。すると村の怖いもの知らずの威勢の良い若者等が「その場所を見に行こう」と怖がる住職をなだめて見に行きました。一同が目にしたのは写真の巨石だったとのことです。久山年神社ブログより

これを読むと、安永9年(西暦1780年)の江戸中期には、花之木村があった事がわかる。

人がいるなら、信仰はあるはずである。

花之木神社は一体誰を祀っていたのか、そもそも花之木神社はなぜ建てられたのか。

小さい村である。村で色々あったのだろう。想像の域を出ないが、しょうがない。

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