千々町 塩釜神社

長崎県長崎市千々町668 塩釜神社

塩釜神社

塩釜神社

塩釜神社

塩釜神社

茂木から海沿いの道路を走り、千々簡易郵便局の先の三叉路付近にある。

自動販売機の横に石段があり、少し上ると一の鳥居があり、細い石段に鉄製の手すりが設置されている。

石段を20段ほど上ると境内に着く。

境内は整備されていないようで、小さな木製の社殿が境内奥にある。入り口はサッシで、鍵をかけていて中は見えない。

神殿が拝殿より大きい。しめ縄も鈴も外にはなく、神社の雰囲気がない社だ。

塩釜神社

塩釜神社

塩釜神社

沿革
寛永3(1626)年、当時の領主である島原藩主松倉豊後守重政の時に勧請されたが、それ以前は不明である。

島原藩主、松倉豊後守重政は悪名高き藩主で、島原城を作ったが、幕府に見栄を張り、石高をかさ増しして報告したので、石高不相応の築城となった。その為農民に過酷な税の取りたてを行っている。さらに切支丹対策を幕府から咎められると、必要以上な弾圧を加え、残酷な責を行わせる。これにより、島原の乱が起こったとされている。

この島原の殿様が、野母崎の田舎に、複数の神社を建てたとされているのだ。

なんの為建てたのかは不明なのだが、賀茂神社や塩竈神社という名前が超有名な神社なので、見栄のために建てたのかもしれないと私は思っている。

塩竈神社は、宮城県塩竈市にある神社で、各地の塩釜神社の総本山である。

祭神は此処と同じ、塩土老翁神だ。

塩土老翁神は謎の多い神であるが、海や塩の神格化と考えられている。神武天皇や山幸彦を導いたことから、航海安全・交通安全の神徳を持つものとしても見られる。ウィキペディア

海や塩の神格化とすれば、この海沿いの町にあっても不思議はないし、海山幸彦の伝説はこのあたりに伝わっているらしく、近くの竈(かまど)神社にも、本殿の前の左右に海の小石が積まれていて、元日にひしゃくで海から若潮をくみ、白い石英の玉石を3つ入れ、潮玉として神社に奉納さたものであるという。

この神社が建てられたとされているのが、1626年で、この時期は長崎にもたくさん神社が建てられていた時期である。

キリシタン禁教令が広まり、これまで焼き討ちにあっていた神社仏閣を立て直す方針がとられていたようだ。

ここも、その一環として建てられたと思うのだが、それ以前も何かしら祀られていた可能性がある。

なにせ記録がなにもないので、これ以上は不明である。

余談だがこの地域には草積御前の話がある。

長崎名勝図絵に、「茂木村草積野にある。夫人は肥前国龍造寺隆信の娘で、島原の漁夫の娘に生ませたものであるが、隆信は自分の子であることを知らなかった。母が死んでからは、寄る辺ない身となり、流落してここまで来た。そして失明していたので、道に迷っているところへ、犬が吠えかかり噛みつこうとした。杖で追い払おうとしたが駄目で、石を手探りでつかみ、これを投げ、遂に悶絶して倒れた。里人が憐れに思い、介抱したが叶わず、遂に死んだ。それで葬ってやったが、その後不思議なことが起こるので、改めて祠を立て、草積明神として祀った。願いをかけると、必ず叶えられた。賽銭の代わりに小石を上げるので、祠の傍には小石が堆積している。

哀れな話である。

まあ昔から、このあたりは寒村だったと言うことだろう。

いろんな神様がいるが、哀れな婦人も明神として祀つられ、人々の願いを叶えてくれる存在になってしまう。

神道は本当に不思議な信仰だと思う。

塩釜神社

塩釜神社

 

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