諫早市白浜町 八幡神社・楠公神社 祭「畳破り」が有名

諫早市白浜町369番地 八幡神社・楠公神社

八幡神社・楠公神社

八幡神社・楠公神社 車での入り口

八幡神社・楠公神社

八幡神社・楠公神社 一の鳥居

一の鳥居 八幡宮と書かれている

八幡神社・楠公神社 参道

八幡神社・楠公神社 二の鳥居

二の鳥居 楠公神社と書かれている

国道207号線を佐賀方面に進む。JR肥前長田と小江の間に白浜町があり、八幡神社・楠公神社は白浜町の町中にある。

現在、干拓が進んでいるので、内陸っぽいが、昔は国道近くまで海岸があったわけで、白浜という町名を見ても、海辺の町だったと言える。

神社はこんもりとした丘の上にあるが、車で入れる道も作られている。

正面に石段があり、二十段ほど上ると一の鳥居になる。その扁額には八幡宮と書かれている。そこから両脇が林になっている参道があり、道が真っすぐ伸びている。

そこにも石段があり、二の鳥居が立っている。そこの扁額には楠公神社と書かれている。

八幡神社・楠公神社

諫江八十八ヶ所霊場第25番札所

八幡神社・楠公神社

八幡神社・楠公神社 拝殿(神楽殿?)

八幡神社・楠公神社

八幡神社・楠公神社 神殿

八幡神社・楠公神社 拝殿

境内

広い境内があり、石板が拝殿まで、まっすぐ敷かれ、低い石垣が組まれた、一段高い所に拝殿がある。

拝殿は瓦葺きで、壁は格子と木板で作られていて、大きくないが、建ち姿はしっかりしている。

境内左には諫江八十八ヶ所霊場第25番札所があり、祠の中にはたくさんの前掛けを掛けられた弘法大師像が祀られている。

拝殿を格子から覗けば、板張りで神殿の前に半畳の畳が置かれているだけだ。

横から見れば、神社は3つのパーツに分かれていて、神殿の前が結構広い。

拝殿だと思ってみたところは、神楽殿と呼ばれる役目をしているのかなと思う。

境内の周りには複数の石の祠や五輪塔、石碑などがある。

全体の印象は、古いがしっかりとした作りの神社だと思う。

この神社は畳破りという行事で人気のある神社で、いろんなHPに由来が載っている。

御祭神:楠公神社:楠木正成公、正行公父子、八幡神社:応神天皇

由緒:南北朝時代の武将、楠木正成・正行親子の武神と鎌倉幕府を創建した源氏の氏神「八幡宮」が合祀され、社殿内の銘板には「楠公神社」「八幡神社」の二つの名前が併記されている。

案内板には、宝永4(1707)年に創建され、江戸後期に楠公神社が合祀されたと書かれている。

楠公神社となった経緯は佐賀藩より、楠木親子の神像を佐賀藩から勧進したとある。その佐賀藩は、1663年(寛文3年)に『楠公父子桜井の駅決別の像』を製作し毎年祭祀を行っていたという。

葉隠のある佐賀藩は楠木正成の英雄像に心酔していて、1850年に国学者枝吉神陽が義祭同盟を結成し、正成崇敬を通して明治維新に繋がる尊王思想を広めたという。

つまり、この地域は佐賀藩の影響力は絶大で、佐賀藩の尊王思想に忖度して、八幡神社に楠公神社をあとから合祀したというのが経緯だと思われる。

楠木正成は大人気の武将で、長崎の若宮稲荷なども楠木正成を祀り、幕末の勤王思想の拠り所となっていて、亀山社中の坂本龍馬も参拝していたらしい。

この神社の有名な「畳破り」は千早城の戦いを模したものだとされているが、これもまた江戸後期、幕末の勤王思想のイベントとして誕生したと思われる。

神社や神道は、特別な教えがないので、その時代の人々の気持ちを、強く反映させる場所となってきた。

ここもまた、そんな神社の一つだと言えるだろう。

八幡神社・楠公神社

八幡神社・楠公神社

 

 

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