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玖島 大村護国神社 旧円融寺庭園跡

大村市玖島2丁目505 大村護国神社 旧円融寺庭園跡

大村公園の近所だ。護国神社なので祭神は國家公共につくした人の神霊である。

春日神社の参道からも行ける。

おおむら歴史散歩道

草場小路

案内板

一の鳥居

案内板

庭園

庭園

護国神社 参道

おおむら歴史散歩道という史跡案内板があり、殆どが大村藩絡みの建物跡である。

此処もそうで、草場小路の標識のある道路沿いに一の鳥居があり、中にはいると左右に池がある庭園だ。

入り口右手に案内板があり、国指定名勝 旧円融寺庭園と書かれている。

その庭園を渡り、左右が石垣の石段を登りきると金物製の二の鳥居がある。

二の鳥居

旧円融寺庭園跡

大村護国神社

大村護国神社

大村護国神社

大村護国神社

大村護国神社

鳥居をすぎると、かなり広い庭園に出る。小さな社殿は左奥に建っている。

円融寺の庭園は樹木に覆われ、一時目にすることは出来なくなっていたが、昭和44年に発見され、整備が行われ現在に至っている。

庭園は寺域南限の山畔中央の高所に巨石を据えて三尊石を組み、これを中心として高さ8m、幅50mの斜面全般に400余個の自然石を立て、地形の起伏に従って作り出した枯滝、枯流等によって、これらの石組みの配置を抑揚豊かなものに構成している。

左手に七段からなる枯滝を作り、その水落石には白色の石灰岩を用いるなど、全体としてその意匠は華麗で、かつ創意にあふれ、江戸時代初期作庭の特色を見ることができる。

庭園の正面、左手には墓碑が並べられていて、、戊辰戦争や日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの大村出身の英霊を祀っている。

沿革
天台宗円融寺は、承応元年(1652)大村藩4代藩主純長が創建。純長は3代藩主大村純信の養子となった。まもなく、純信は若くして亡くなったため、大村藩は後継者を決めていなかったが、将軍家光の裁可によって純長への相続が許された。大村藩はこの恩義に報いるため特に願い出て、徳川家の位牌を祭った。円融寺は、明治元年廃寺となり、その跡地に戊辰の役の戦没者が祀られ、その後護国神社となった。

なるほど。

大村藩は後継者を決めていなかったが、将軍家光の裁可によって純長への相続が許された。

これはかなり珍しいことだと思う。まだ徳川家に余裕があったのだろう。その恩義に報いるため特に願い出て、この寺に徳川家の位牌を祭ったというわけで、藩の中でも最重要寺だったわけである。

社殿はこの庭園に比べると、かなり控えめに作られていて、庭園の雰囲気を壊さないという配慮があるのだろう。

人を祀る

護国神社は、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社で1939年(昭和14年)に招魂社から改称された。ウィキペディア

その前は明治時代に日本各地に設立された招魂社だった。

招魂社は神社かというと、若干違う存在だった。

1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。

つまり、高杉晋作のアイデアが全国に広がったもので、戦争に出る兵隊の士気を高めるために考えついたものだと言ってもいい。

さらに同じ日本人でも、新政府側の兵隊のみを祭り、幕府側は祀らなかったのである。

さて、これを神社と呼ぶべきだろうか。

その後、日清、日露、大東亜戦争と続き、護国神社は機能し続けている。

最初は、魂を招く場所という事で、神主はおいていなく、共同墓地の性格を持っていた。それが少しづつ性格が変わり、軍神という神が作られていく。

国の方策で、神社側も歩み寄る事となり、靖国神社が作られる。

古代の神社も人を祀ることがあった。それは戦い半ばで死亡した強い武将たちや貴人である。しかしそれにはルールが有ると柳田国男氏は言う。

天寿を全うした武人ではなく、パワーが有り志半ばで死んだ者たちを祀るという。そのパワーが死後の魂となり災いを起こさない様に祀るのだ。

そんな日本人の古代からの心からすれば、護国神社は政府主導の神社という事を考えなければならないと思う。

国のために死んでいった人びとを顕彰し祀ることには、何の問題もない。

ただ戦後左翼の国自体を否定する言動で、靖国神社は問題視されている。しかし護国神社は作られてから、ドンドン性格が変わっていった。

私は、これから先、護国神社の性格もだんだんと変わって行くだろうと思う。

なぜなら、此処は朝敵であった幕府側の庭園である。本来は新政府側の人間を祀るにはふさわしくない場所なのだ。

それでも、現在は何の違和感もないのである。

それが変わっていくということなのだ。

春日神社から護国神社へ行く道

大村護国神社

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