大村 大神宮 大村純前が建立
長崎から大村に向かう道で、鈴田川の手前にあり、旧長崎街道、古松休憩所跡の看板がある場所がある。ここに大神宮の一の鳥居があった。
私は上の道から行ったので、この鳥居には気づかなかった。
境内に直接はいる入り口にも、石垣で囲まれしっかりとした鳥居がある。
広い境内左手には、白いビニールシートで覆われた土俵があり、右手には忠魂碑がある。
社殿は瓦葺きで、しっかりとしている。
拝殿の右手に、大岩の割れ目から成長した木が祀られている。しっかりと育った木なので、その生命力をたたえて祀ったのだろう。
拝殿は板張りでシンプル。壁は白い壁代で覆われていてきっちりしている。
社殿左手に建物がついていて参集殿となっている。神殿も拝殿とバランスが取れている。
全体的に見て、古いがしっかりと整備もされている神社である。
由緒や説明はたくさん残っているので、それを掲載する。
この大神宮は、『大村郷村記』によると1542(天文11)年、大村純前が今富城内に建て、その後尾崎(現在の今富橋近く)に移されたといわれます。その後、1574年にキリシタンに破壊された後、江戸時代の1671年に現在地(冷泉寺)に再建されました。
もう一つ大村郷村記を読みやすくしてくれているHPの文章があったので、それも掲載する。
冷泉寺(にある)大神宮 御神体は木製の彩色された座像である。例祭は(毎年)9月11日に宝円寺に来てもらって氏子で祭っている。 神殿は奥行き2m12cm、横幅1m82cmで萱(かや)ぶき屋根である。拝殿は奥行き4m55cm、横幅5m45cmで萱(かや)ぶき屋根である。石の鳥居が2基ある。境内(敷地)は奥行27m27cm、横幅23m63cmほどである。
当社(太神宮)は昔、今富城にあった。その後、同所(今富村の)尾崎(おさき)(注4)に遷座した(引っ越した)。寛文11辛亥(かのと い、しんがい)年(1671年)に長崎沖右衛門が この地(現在地=冷泉寺)に多羅山(宝円寺住職の)法印尊盛(そんじょう)を導師として遷座した。 明和5戊子(つちのえね、ぼし)年(1768)年2月、宝円寺第9代(住職の)権大僧都寛海を導師として再建された。天保7丙申(ひのえさる、へいしん)年(1836年)には宝円寺第13代(住職の)法印寛深を導師として修復され法要が行われた。
社頭案内板『旧長崎街道』より
御祭神:天照皇大神
祭礼日:10月17日
境内社:二社
由緒:村社(「長崎県神社庁公式サイト」より)
現在、大神宮が建っている場所には江戸時代古松権現という神社があり、藩主大村純信に再興された神社です。明治になり、他の神社とあわせて大神宮となりました。
大神宮は天文11年(1542)大村家17代純前(すみあき)が、建てた神社である。
明治7年に松尾(まつのお)神社とともに福重村の氏神となったという。
古くて由緒のある神社なので、大切にされてきたのだろう。