沖縄 那覇への旅(10) おきなわワールド 琉球王国城下町
玉泉洞を出ると、民芸品売店やガラス工芸体験、喫茶などがあるコーナーに進む。
ここは琉球王国城下町というコーナーのようだ。
あの朝ドラの「ちゅらさん」や「ちむどんどん」のテレビセットのような、古民家が並んでいる場所があった。
まあ、テーマパークなので観光用に集められているのだが、那覇市内では、ほとんど見ることが出来ない。
平屋で間口が広く、床の間と仏壇がある。家の周りは台風対策の石垣があり、屋根の上にはシーサーが乗っている。
明治以降の風俗
このコーナーでは全て赤瓦だが、赤瓦は支配者層の特権で、首里城正殿をはじめとする王府・役所の建物や、神社等で使われていた。
一般の住宅では1889年に至るまで瓦葺きは禁止されており、赤瓦が広く市中に普及するのはこの禁止令が解かれた後であった。屋根に漆喰で作ったシーサーが置かれるようになったのも、この頃以降であると考えられている。ウィキペディア
1889年といえば明治22年である。
赤瓦は古代からと言うイメージだが、沖縄の歴史は意外と新しい。定番のシーサーも、一般住宅で飾られるようになったのは明治後半からのようだ。
那覇からこの場所への移動中ガイドさんが話していたのだが、現在の一般住宅はほぼ鉄筋コンクリートらしい。
これは台風のせいでもあるが、鉄筋コンクリートの四角い家の上に水タンクを設置している家も多い。
沖縄はサンゴ礁などの石灰岩土壌の場所が多く、雨が降っても土地の保水力が弱く、水不足で断水になることが多いという。
なので雨が少ないと、ここに水道水をためて断水を凌ぐという。
亜熱帯で海がきれいな南国の島だが、良いことばかりではなく、思ったより自然環境は厳しいようだ。
シーサー
シーサーの語源は、日本語の「獅子(しし)」である。
日本の狛犬のようだが、観光バスのガイドさんは、日本の狛犬は朝鮮半島から伝わったもので、沖縄のシーサーはスフィンクスと同じ大陸から伝わったと話していた。
確かに、その由来は中国の石獅と言われているが、大本は古代オリエントのライオンと伝えられている。
ライオンはアジアには生息していないからである。
シーサーは13~14世紀(500~600年前)、中国から沖縄に伝わったといわれているが、昔は国王や国の高級官僚のたちのシンボルとしても使われていたようだ。
一般的な魔除けのシーサーの始まりは1689年(江戸時代)で、火事が多い時、風水師が提案してからだという。
屋根付豚舎(ヤーフール)
これは豚便所(ぶたべんじょ)と呼ばれるもので、大便をブタの餌として与え、飼育する施設である。
中国では「豬厠(ちょそく)」、沖縄本島では「フールー」「ふーる」(漢字:風呂)、韓国済州島では「トットンシ」と呼ばれる。ウィキペディア
豚便所は沖縄県及び奄美群島にあった。
日本の本土においては、山間部では飼育しなくとも野生のイノシシが獲られたこと、屎尿は肥料として利用されたことや仏教によって殺生が禁じられてきたことなどから、明治以前にはブタの飼育自体が普及せず、雑食性の使役動物を飼育していなかったことから人糞を利用する必要もなく、伝播しなかった。ウィキペディア
なるほど。
中国と朝鮮は、沖縄と同じ冊封関係だったので、この飼育法が伝わったらしい。琉球が沖縄県になった明治時代に衛生観念の広がりから禁止されている。
この事はどのガイドブックにも載っていなかった。
まー、中国と長い間付き合っていると、びっくりする風習が伝わるもんだなと思った。
琉球王国のひどい経済格差
尚巴志王によって誕生した琉球王国は、約17万人の人口で推移し、有力士族、下級士族、一般庶民で構成されています。
重税に苦しめられた庶民や、役職が開く機会が少ないために内職や農業を強いられた下級士族は、貧しい暮らしを強いられる一方で、有力士族は私的な貿易により財を成すという経済格差があります。
庶民の暮らしには重税の負担に加えて、土地の所有や移動が認められず、婚姻の自由も認められず、植民地と化した先島諸島の庶民にはさらなる負担と制限が課されています。
首里城などで繁栄をみせた琉球王国のイメージがありますが、庶民の暮らしには、かなりの重税負担と経済的な貧困を抱えた実態があったようです。
琉球王国・沖縄の歴史を学ぼう
https://www.ryukyu-history.com/ryukyu-history/post-302
これは琉球だけの話ではない。日本も同じような状況があった地域も多かっただろう。
現代の日本も経済格差はすごい。これは現在でも世界中の大問題である。
沖縄のガイドブックに書かれている事が大嘘だとは言わないが、やはり鵜呑みにしないで調べたほうが良さそうだ。