飯盛町池下名 池神社 弥生時代石棺碑がある

池神社

長崎県諫早市飯盛町池下名236

池神社

池神社

池神社

池神社

戸石港から見て左手の堤防の端の山側にある。

石垣で囲まれた境内で、入り口が2つ作られていて、鳥居は山の方にある。

しっかりとした石の鳥居をくぐると、小ぶりだが瓦葺の社殿があり、しっかりとした、しめ縄が目に入る。

拝殿左側には神社案内の看板があり、由緒などが書かれていた。

池神社
この付近は、以前海浜でしたが、堤防を築き造成してできた漁村が「池下(いけしも)」であると言われています。堤防築造の祈願成就と漁業安全のため、堤防上の1番良い場所に創建されたのが池神社です。祭神は豊玉姫命、元亀元年(1507)創建と言われています。

池神社

池神社

 

それ以外にも池下のトウさん、恵比須、竜神の石仏の案内があった。

堤防の恵比須

池神社 拝殿

池神社 神殿

拝殿は板張りでキレイにされていて、手入れがなされていることがわかる。

神殿を見るために社殿の後ろへ回り込むと、神殿は板で囲まれている。

屋根と梁だけが見えたが、結構手の込んだ作りをしているようだ。

海の傍なので、潮風の被害を防止するためだろう。

池神社境内の遊具

境内の半分は遊び場になっているらしく、ブランコとすべり台が設置されている。

コレといって、よく見る普通の神社である。ただ敷地内に「弥生時代石棺碑」という石碑がしっかり建てられていた。

この碑がやけに気になった。

弥生時代石棺碑

弥生時代

この時代の区分は「日本で食糧生産が始まってから前方後円墳が出現するまでの時代」という定義らしい。

年代としては紀元前10世紀から紀元後3世紀中頃までにあたる。少し前までは紀元前5世紀からと言われていたが、年代測定法が進化して、紀元前10世紀と最近は言われている。

この飯盛町の千々石湾沿岸には複数の遺跡が発見されている。

すぐ近くの牧島の曲崎遺跡があり、その遺跡はよくわからない遺構が数多くあり、時代的には古墳時代とされている。

それ以外の遺跡も古墳時代とされているが、本当はもっと古い遺跡ではないのかなと思った。

池神社の祭神は豊玉姫命、元亀元年(1507)創建とある。

近くの戸石神社の創建は大永1523年である。記録を信用するとかなり古い。

この地区は江戸時代は佐賀藩諫早領だが、1507年あたりは、西郷氏が活躍していた時代だ。

現在の堤防はコンクリートで固められている新しいものだが、1507年辺りから堤防の工事を行っていたとすれば、この港はかなり重要だったのだろう。

堤防の昔の地図

一つ疑問がある。

堤防を築き造成してできた漁村が「池下(いけしも)」であり、それで池神社というらしいが、この地域に池はないようだ。

なので、最初から池神社があり、その地域なので「池下(いけしも)」になったと考えたほうが筋が通る。

それなら池神社という名前はどこから来たのかというと、話が飛ぶが、対馬に池神社がある。

この話は、長くなるのでここでは書かない。

ただ「弥生時代石棺碑」の石碑をみると、弥生人と呼ばれていた人々が古代この地にやってきたのではないかと想像しただけである。

だが、この想像は当たっているかもと、実は感じているのだ。

池神社

池神社から見える戸石港

 

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