雲仙の地獄

2018年12月26日

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ご存知地獄温泉である。

雲仙には紅葉を見に行ったのだが、この場所を歩かないと雲仙に来た気がしない。

仁田峠

そこで、仁田峠の帰りに車を駐車場に止め散策することにした。

旅行者のマナー

平日行ったのだが、白人や中国、韓国人の観光客が目立つ。

雲仙地獄

白人の観光客は少グループで、その格好は常にラフスタイル。いつも思うのだが、一年中Tシャツと短パン、サンダルで暮らしているんじゃないかと思うくらいだ。

中国、韓国人の観光客はいつも塊で動き、話し声が大きいのでどこにいても目立つ。

格好は日本人とほとんど同じなのだが、若干派手目。昭和の日本人の感じがする。

最近、中国、韓国人観光客のマナーの悪さがよく話題になるが、昔の日本人観光客もマナーが悪くて、ヨーロッパではさんざん悪口を言われていた。

1980年代の事である。外国でどこでもたばこを吸って地面にポイ捨てする日本人。

立ちしょん便を平気でする。ホテルの廊下をステテコ姿で歩く。

高価な服やアクセサリーをバーゲンセールのように買い漁る若い日本人女性。

これは私も目撃している。

若い時、貧乏旅行でヨーロッパ大陸を旅していた時、ドイツの観光地で添乗員の旗に日本人達が行進している風景を何度も見た。そしてパリのエルメスの本店を覗くと日本人しかいなかったなどである。

まー 30年ほど前は、日本人もこうだったのであまり他国人のことは言えないのだが。

ただ日本人の場合、自浄作用が強い。世界中から非難された農協の団体旅行もいつの間にか正常になっていった。

さて日本にやってくる外国人のマナーは、時間が立てば変わっていくのだろうか。

見ていてみたい。

雲仙の歴史

ウィキペディアには雲仙温泉と載っている。

キリシタン殉教悲史の舞台で世界的に有名な温泉。日本初の国立公園(雲仙天草国立公園)に指定された温泉保養地である。

そう、雲仙は日本で最初に国立公園になった場所である。

それほど有名だったということだ。雲仙にやって来た有名人もおおい。

吉田松陰、シーボルト、パール・S・バックやヘレン・ケラーも滞在している。

雲仙地獄

雲仙の歴史は恐ろしく古い。

保養地として開発されたのは1600年代の江戸時代である。

島原藩の藩主である松平忠房の命令で湯宿(現在の湯元ホテル)を作ったことから始まったとされる。

保養地になる前の雲仙は、宗教の聖地であった。

開湯は701年(大宝元年)に、行基によって温泉山満明寺が建立されたことに始まる。同時に四面神を祀る温泉神社も建立されたとされる。

温泉神社

しかし雲仙のある島原地域の歴史はもっともっと古い。

まず縄文時代の墓がある。原山支石墓群(原山ドルメン)という。

原山支石墓群

紀元前4世紀頃この支石墓を築造した「原山人」がいるとしている。

そして「まぼろしの邪馬台国」という本が出ている。

まぼろしの邪馬台国

邪馬台国は2世紀~3世紀に日本列島に存在したとされる国で有名な宮崎康平の著作で映画にもなっている。

また島原の古名は五十猛島(いそたけるじま)という。五十猛とは素戔嗚尊(すさのうのみこと)の子供である。

神話の人物が島原半島の名前になっているのだ。

それほど古い。

そして聖域だった。

しかし、キリシタンの件があり雲仙は正真正銘の地獄になった。

なぜ過酷で残酷な拷問をしたのか

処刑を実行した役人の言葉の記録があればいいのだが、決して喜んでやったとは思えない。

この前見た「沈黙」という映画を見て、役人の様子が少し描かれていたが、残酷大好きのマゾ的人間としては描かれていない。

普通に考えても、わざわざこんな所まで連れてくるのは、キリスト教を棄教させる事が狙いだったのだ。

いわゆる「浦上四番崩れ」事件であり、浦上のキリシタンたちはこれを「旅」と言って耐え抜いた。
配流者総数3,384名、配流地での死者613名、配流地での出生者163名、1,011名が棄教し、1,900名が信仰を守り抜いて帰郷した。
棄教した者も帰郷後に殆ど信仰を取り戻したと言う。「キリシタン迫害と殉教」
http://www.being-nagasaki.jp/kirishitan/top.htm

上記のように、棄教させるのが目的だったが1/3が棄教したに過ぎなかった。

故に過激な拷問に進んでいったのだ。

しかし豊臣秀吉によるバテレン追放令で棄教した大名もいる。黒田孝高(福岡黒田藩)、有馬直純(肥前日野江藩主)がそうである。

思想統制と日本征服

このキリシタン禁止令は、共産党排除にも似た思想統制と同じだある。

戦後共産党を排除した理由は、暴力革命という方法論がメインに存在する為である。

日本の施政者は、最初からキリスト教を弾圧したわけではない。

しかしキリスト教が日本で広まる時期に、キリシタン大名による領民に対してのキリスト教への強制改宗という事実がある。

またフィリピンを拠点にしていたスペインの宣教師たちがキリスト教を広めるために日本を武力で制圧することを企てていたことや、日本との貿易で収益を得ようとしたイギリス・オランダが江戸幕府に「スペインなどがキリスト教を広めて日本を征服しようとしている」と密告したことが背景にある。

最初のうちはキリスト教に対して、かなり寛大な対応をしている。

「信仰者のみが信仰するのは構わないが、布教は禁止する」や「公の場での公言は禁止する」という程度である。

しかし、多くのキリシタンが組した大坂の役、大規模なキリシタン内乱である島原の乱により、江戸幕府は「死か改宗か」を決断した。

大坂の役とはご存知、秀吉陣営と家康陣営の一騎打ちなのだが、大坂城にはポルロ神父など多数のキリシタン、神父が篭城していたのだ。

このように、日本の施政者は、日本国の秩序を維持するために、思想統制をし続けている。

キリシタンだけではなく、古来よりカルト的な宗教や呪術を伴うもの(呪禁道、真言立川流、玄旨帰命壇など)、旧来の仏教に対して起こった仏教新宗派(浄土宗、浄土真宗)などが弾圧の対象になってきた。

仏教弾圧

日本に仏教が入っていた時にも、仏教推進派の蘇我氏と神道派の物部氏の対立があり、結局蘇我氏が勝ったので仏教が日本に根づいた。

しかし仏教の日蓮宗のうち不受不施(法華経信者以外から施しをうけず、僧が法華経信者以外に施しをしない)を唱える僧または宗派(不受不施派)は江戸幕府から禁教とされ、強制改宗をさせられた。

また一向宗(浄土真宗)など既存大手の仏教宗派を禁じたところもある。

このように穏やかな思想であるはずの仏教も、一歩間違えばカルトに偏向し、あのオーム真理教のようになってしまう。

雲仙


雲仙の地獄の中を歩きながら、つらつらとこんな事を考えてしまった。


引用、転載 ウィキペディア