神崎神社 「神域ケガスベカラズ」

2019年6月14日

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神崎神社とは女神大橋の神の島側の根本にある神社の事である。

神崎神社

1680年に創建されたと記録に残っているので江戸時代前期で長崎が日本唯一の貿易港となり活躍していた時期に創建されたようだ。

女神大橋

女神大橋

神崎神社の真上にある女神大橋は2005年12月に開通した。H型の主塔は170m、橋の長さは1,289mある大きく綺麗な橋である。。

橋の上から見る長崎は素晴らしいのだが、通行するのに有料で100円かかるのが玉にキズだ。

この橋の名前は女神大橋と名付けられた。

この名前は平成17年に募集され、人気のあった女神大橋に決定。更に愛称はヴィーナスウイングとなった。

かっこよすぎる名前である。

この名前の由来は、「ナガジン」発見!長崎の歩き方によると、

「女神」はもともと戸町側の地名で馴染み深い呼び名。さらに、この地名には昔ながらの神々しい由来が存在する。

それは、神功皇后が朝鮮出兵された際、船上から見られた深江浦(ふかえうら)、現在の長崎港の風景を愛でられ、浦の入り口に浮かぶ東西の小島を、陰陽または満干に例えられたという。そこで神功皇后は、東側の小島を陰神島(めかみしま)つまり女神島、西側の小島を陽神島(おがみしま)つまり男神島と命名。以来、女神という美しい名前で呼ばれるようになったのだ。

戸町で「女神」は馴染み深い名前だというが、私は全く知らなかった。

ウィキペディアによると、戸町の4・5丁目は「女神」の別名があり、両丁目の境に橋げたがある女神大橋の由来となっているという。

ちなみに外町側には神社も祠も見当たらない。なので戸町の4・5丁目が「女神」と呼ばれていたとは不思議である。

実はこの話を僕は疑っている。

「女神大橋」というネーミングにあわせた話じゃないかと密かに勘ぐっているのだ。(本当だったらすみません)

ただ、こんな文章があった。

『長崎郷土史』に天門峯と書き、「シラト」とルビを振っている。また「一名を白崎と云い唐人は観音山と云えり。…往昔港内往復の船は必ず櫓を止めて遥拝し、唐船は入港の際金鼓を鳴らして礼をなし、通船するを例とせり。山角南に突出せるを神崎鼻と云い、今税関見張所あり。山下を男神と称し対岸女神と相応ず。…」と書いている。
小榊の散策(1)木鉢の史跡・風景 長崎市木鉢町https://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/51896169.html

ここにも、「山下を男神と称し対岸女神と相応ず」という文章があった。戸町に、神社なり、祠なりがあれば納得するのだが、現在は見当たらないのは何故だろうか。

もし神崎(男神)に呼応して女神と呼んでいた島があるとすれば、現在陸続きになっている皇后島(ネズミ島)が女神と呼ばれているのが当然ではないだろうか。

うーん

どうもしっくりこないのだが、今更文句を言ってもしょうがないので引き下がるが、長崎の地名の付け方が、どうも「かっこつけ」の方向で決まっている事が気になるのだ。

エミネント葉山町とか、ダイヤランドなんか気に食わないね。小浜町マリーナ、多良見町シーサイドもしかり。

その時はかっこいいと思って役人達がつけるのだけど、50年100年も経てば陳腐な名前になってしまうのは目に見えている。

そこんとこ分かっているのかな。

神崎神社の話に戻る。

女神大橋の木鉢側から歩いていける。道の途中には標識もあるので迷うことはないだろう。

神崎神社の入り口
神崎神社への道
神崎神社への道

鳥居のある見晴らしのいい岩場にも、いろんな神様が祀られている。

神崎神社 上部
神崎神社
神崎神社

不動明王があったり、観音様があったりとバラバラな理由は、個人やグループ(会社)などが、海上での安全な航海を祈願して祠を作っていった結果だと思う。

神崎神社 上部
神崎神社 上部

先へ進み海岸側に降りていくと、お稲荷さんがあったりと、神崎神社のご本尊は確定されていない。

祠のある場所の倒れた石碑に「神域ケガスベカラズ」と書かれてあった。

神崎神社

つまり、神崎神社はバラバラの神様が混在する「神域」の場所として成立しているのだ。

祠(ほこら)

作られている祠は古いものも多いが、最近らしいものも多い。変わった名前が多いので調べてみる。

神崎神社 上部

白鬚大明神という鳥居があった。

これは白髭神社のことで祭神は猿田彦命 (さるたひこのみこと)だ。

白髭神社が多い地域は武蔵国北部や近江・筑前で、この地域は渡来人がおおく、その渡来人の祖神を祀ったのが始まりだと言われている。

白髭(しらひげ)の文字が、朝鮮半島の新羅(シラギ)から来ているとか、社名の白鬚(はくしゅ)は、百済(ひやくさい)から来ているとの説がある。

神崎神社 上部

さらに玉(?)と名札の付いた鳥居もある。これは日本語ではないような気がする。とすれば、もしかすると日本人でない人が建てたのかもしれない。

また祭神の猿田彦命は、天孫降臨の際に、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神で、道の神、旅人の神という信仰もある。

赤い鳥居は稲荷明神の代名詞であり、この白鬚大明神の鳥居は稲荷信仰とまぜこぜになっているので、これを建てた人は無頓着に建てたのかなとも推測される。

神崎神社 上部

船玉も不明だ。船魂の事かもしれない。

船王大明神と書かれている祭神だが、船王という名前の神様は見当たらないので、造語だと思われる。

神崎神社 上部

孫四郎大明神という石碑もあるが、これも又、身内や関係者を守り神としたのだろう。

神崎神社の鳥居の名札の横にに、通称金貸稲荷と書かれているがこれも又、金運アップのために作られた造語である。

金貸稲荷
神崎神社 上部
神崎神社 上部

これらの事を思えば、この神崎神社は信仰のフリースペースなんだろう。

稲荷神社

信仰の場所に信者が参加できるシステムは、稲荷神社から始まったという。

千本鳥居 | 伏見稲荷大社

あの赤い鳥居は申し込めば有料で立てることが出来るシステムである。ちなみに柱の直径の大きさで号数が決められており、5号ですと柱の直径は15㎝だ。

伏見稲荷大社の千本稲荷の鳥居の大きさは、5号で175,000円かかる。

いいか悪いかは置いといて、このシステムによって稲荷は日本中に広まったと言えるだろう。

特に稲荷神社は万能神とも言える存在で、元来は五穀豊穣を司る神であったが、時代が下って、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神と変化している。

特に江戸は稲荷信仰が盛んで、江戸に多いもの「伊勢屋、稲荷に犬の糞」ともいわれている。

神道が皇室祖先神だけではなく、民間の様々な神を包括した大きな日本独自の信仰であることの証かもしれない。

いずれにしても、自由な信仰でありいいと思う。

神崎神社への道

神崎神社はこの小高い場所がメインではなく、海に降りていく小道がある。

落ち葉に埋もれた石段を降りていくと、そこにも祠が多く祀られている。そのまま進むと、大きな鳥居のある海岸に出る。

神崎神社
神崎神社
神崎神社
神崎神社
神崎神社
神崎神社
神崎神社
神崎神社
神崎神社

実はここが神崎神社の本当の入り口なのである。

昔の人達は、船でこの場所にやって来てお参りをしたのだ。

神崎という名前も、もう少し先の神の島と関連していると思う。共に神域として、航海を祈願した場所なのは間違いないだろう。

天門峰

神崎の近くに天門峰(てんもんほう)という低い山がある。

名前が豪快である。中国に天門山という場所があるが、全く似ていない。

しかし、江戸時代、漢学者が長崎を中国風に呼んだものに崎陽(きよう)があり、天門峰も同じだと思う。

中国の天門山は壮絶な奇岩があり、大きな岩に戸が空いているような景観がある。長崎の岩瀬道あたりも奇岩があったというので、そこから来たのではないだろうか。

天門峰(てんもんほう)は「しらと」と読む。本来は「しらと」という地名だったのだろう。

長崎郷土史より 一名を白崎と云い唐人は観音山と云えり。

上記の引用から、天門峰を「白崎」といい、神崎神社あたりを神崎鼻と言っていたとある。

目の前が戸町なので、白崎を「しらと」とよんでいたのか。

戸という字が、入り口という意味なので、白崎を「しらと」とも呼んでいたのかが不明である。

想像を巡らせば、「しらと」の白は城といった意味ではなかったのだろうか。天門峰は長崎港の入り口にある低い山なので、見張り台や山城を築いていたんじゃないかと想像するからだ。

また、神崎は木鉢という町に属する。

木鉢という地名の由来も不明なのだが、戸町は昔、戸八浦(とはちうら)と呼ばれていた。木鉢(きばち)も、昔は「きはち浦」なんて呼ばれていたかもしれない。

これらは想像の域を全く出ないが、いつか歴史の文献が出てくるのを期待したい。

神崎神社

長崎は江戸時代以前から港として賑わっていたとされている。そんな古代から、神崎は様々な神様が祭られていたんだと思う。

そしてこれからも、人々に信仰する心が残っている限りなくならないだろう。