諏訪神社の中の神社 超有名な八坂神社と厳島神社がある理由
長崎の諏訪神社神殿の右手に、八坂神社と厳島神社が祀られている。
神社と書いているが、祠のようなもので、見た目にはきれいで、新しくも感じる。
この二つの神社の祭神は、超有名な神で、親子といってもいい関係である。
一つが八坂神社のスサノオ、そして素戔嗚(スサノオ)と誓約(うけい)をした天照大神の子供の市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)である。
隣にある蛭子社も含め、高天原の天孫族を祀っている場所と言っていいだろう。
なぜこの場所に、これらの神様がいるとかというのは、不明だが、昔、諏訪神社がこの場所に来る前から、存在していた信仰だと思う。
信仰の地 玉園山
昔、この場所は玉園山と呼ばれ小山であったという。
地図から見ても、この一帯に神社や寺院が固まっている事を思えば、古代より人々が多く住んでいたという事でもある。
まあ、リアス式海岸の長崎港で、深く海が入り込んでいる地形である。
わずかな平地や山裾に人が集まったのは、自然の理であろう。
長 崎 -迷宮の丘に広がる坂の町 ドラマチックな歴史の町-
http://www.koutaro.name/machi/nagasaki.htm
が制作された地図を掲載させていただくが、一目瞭然である。
また、岩屋山や愛宕山に山岳信仰、つまり山伏文化も栄えていたのだ。
様々な信仰が、諏訪神社の周りにあったのだろう。
また、キリシタンの焼き討ちにあい、対キリスト教の神社布陣を作り上げる際、地元にあった信仰を復活させたのかもしれない。
これまで、オランダ船が来る前は、さびれた寒村だったと書かれたパンフレットが多いのだが、事実は違うのだと確信する。
荘園から誕生した豪族の流れをくむ一族が長崎に存在し、鎌倉、室町、戦国時代まで、様々な勢力が長崎に住み、また、中国からも商船が出入りしていた。
そんな人々の信仰の一部が、諏訪の森や西山にあり、今まで続いていると思っている。
祠は小さくても、有名な八坂神社と厳島神社なので、深読みすればいろんな想像も沸くが、記録もないので、ここまでとしたい。
諏訪神社の中の神社 超有名な八坂神社と厳島神社がある理由