諫早神社

旧諫早街道の解説

本明川の飛び石

諫早神社は諫早市内の諫早駅近くにあり、本明川の川沿いに有る。
 
諫早神社付近は、「長崎街道」の永昌宿のそばで「諫早街道」の起点でもあり橋がなかった頃は、神社前の「飛び石」が重要なルートだったとある。
 
縁起書によれば、当宮の創始は
平城京・奈良時代の神亀五年(西暦728年)に、聖武天皇の勅願により
行基菩薩が当地へ赴いて石祠を祀ったのが始まりと伝わる。もとは九州総守護の神々をお祀りする「四面宮」という神仏習合の神社であった。
 
現在、諫早神社は改築中であり、久しぶりに行くといろんな建物が建てられている。
 
広い境内には巨大なくすの木があり、「諫早神社のクス群」として長崎県天然記念物に指定されている。
 
行ってみるとわかるが、巨大なクスノキ以外には見物をするところはない。

神木 クスノキ

 

四面宮

四面宮

四面宮は雲仙独特の神様である。
 
その由緒だが、始まりは古事記の国生み神話である。
 
国生み神話とは、イザナギとイザナミの二神が高天原の神々に命じられ、日本列島を構成する島々を創成した物語である。
 
二神は次々に国を生み、四番目に九州を作る。
 
九州は古代、筑紫島(つくしのしま)と呼ばれて、この島は胴体が1つで、顔が4つあると書かれている。
 
白日別(しらひわけ) – 筑紫国。
豊日別(とよひわけ) – 豊国。
建日向日豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ、タケヒムカヒトヨクジヒネワケ) – 肥国。
建日別(たけひわけ) – 熊曽国。
 
上記の通り、長崎を指す「建日向日豊久士比泥別」だけが、以上に長い国名となっている。
 
これに関しては、やや長文だが自説が有る。
 
古事記の邪馬台国 九州国産み考
 
 
解説をすれば、鹿児島(邪馬台国のライバル狗奴国)に向かい、卑弥呼とトヨ(邪馬台国の後継者)がいて、不思議な干潟がある場所と読める。
 
まあ、信じるか信じないかはあなた次第だが、納得できる説明がない以上、一つの説として受け取って欲しい。
 
四面宮は、島原半島を中心に多く建立されている神社で、雲仙にある四面宮が総本宮である。
 

雲仙の温泉神社

 
古事記の話をそのまま解釈すれば、「胴体が1つで、顔が4つある」とは、一つの連合国があり、その代表的な部族が四つあったということである。
 
そして、各九洲の名前から推測すれば、その連合国は、阿蘇や佐賀ではなく、長崎の島原にあったことになる。
 
なにせ、雲仙にしか四面宮の神様はいないからである。
 
諫早は、平安時代、伊佐早荘と呼ばれていた地域で、大分の宇佐神宮とも深い関わりが有り、古代より栄えていた地域である。
 
現在は四面宮という名前だけが、古代の長崎の姿を忍ばせる。
 

諫早神社

諫早神社

諫早神社

諫早神社

諫早神社

諫早神社