諌早市栗面町295番地。祭神 大海神(おおわだつみ)。創建1775年。
もともと栗面町の氏神。この地域が海岸で埋め立てられる際に大海神を祭神として祀られたことが始まりという。
道路沿いにある神社は宮大工の手により造営とあり、様式は流造(ながれづくり)という。
とてもきれいな社殿で、社殿右脇には真っ赤に塗られた稲荷大明神が祀られている。
杜も豊かで、いい場所にある神社だ。
京都の貴船神社
全国に約450社ある貴船神社の総本社は京都府京都市左京区にある。
貴船神社は「絵馬発祥の社」として有名で創建は古く666年に最も古い社殿造替えの記録がある。
栗面(くれも)という地名
栗面(くれも)という地名の由来を探したが不明だった。
ただ防災に関わる「言い伝え」の全国版のPDFに
地名「栗」は崩壊・浸食地形を意味する地名である。
地名につく「栗」は動詞クルの連用形の名詞化で、抉(えぐ)る、転がるの意であり、主として山間地の「栗」のつく地名は崩壊地形の名称であると考えられる
という文章があった。
諫早には小栗という地名もある。この地名は小川村と栗面村から1字ずつとって「小栗村」となったとある。
という事は栗面がベースである。
諫早の古地図を見てもよくわからなかったが、上山の麓にあり、近くに半造川という川が流れている。
東側には船越という町名もあり、かなり深く海が入り込んでいたようである。
貴船神社の由緒に、この地域が海岸で埋め立てられる際に大海神を祭神として祀られたことが始まりとあった。
となれば防災に関わる「言い伝え」どおり、崩壊・浸食地形だったと推測できる。
京都の貴船神社の名称は貴船川という川の名前からつけられている。その由緒には、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗ってその貴船川を遡って京都に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。
おそらくその故事に習って、栗面(くれも)の貴船神社も大海神(おおわだつみ)を祀ったのだろう。
京都の貴船神社は高オカミ神(たかおかみのかみ)という水や雨を司る神を祀っている。
高オカミ神と大海神ではだいぶニュアンスが違うが、そこの所は深く追求しなかったのだろう。
京都と諫早の関係はよくわからないが、栗面(くれも)の近くに東小路という地名があり、この地名は京都にもある。
なので、京都とは関係があったと思われる。
私の知識ではこれくらいしか分からなかったが、諫早の郷土史に詳しい人ならもっと知っている人がいるだろう。