蚊焼 八坂神社 石の祠が祀られている

蚊焼漁港

八坂神社 金毘羅宮

八坂神社 金毘羅宮

八坂神社

八坂神社

八坂神社

蚊焼は長崎半島の中ほどにあり、クジラ浜や岳路海水浴場のあるあたりだ。

蚊焼村(かやきむら)は、1955年(昭和30年)に隣接する川原村及び為石村と合併し三和町となる。

神社のある場所は蚊焼漁港の民家の後ろの小山である。

民家の中に一の鳥居があり、小山へ向かう。金網で両側を囲まれた狭い石段を登る。

登りきると突き当りで、左右に道がある。

左手に行くと八坂神社の石の祠が3つ、狭い広場に祀られている。周りを見ると手水用の石の桶が放置されていたので、昔は社があったのかも知れない。

中央の祠の前には、かけた鳥居の神額があったが、風化して字が読めない。祠にも何か書かれていたあとがあるがやはり読めなかった。

八坂神社の祭神はスサノウなのだが、残り2つはなんだろう。不明だ。

小さな漁村に八坂神社は不釣り合いなのだが、過去の蚊焼村では、八坂神社を祀る理由があったかもと思い直す。

道を戻り、行き止まりを右手に行く。

金比羅宮

金比羅宮

金比羅宮

金比羅宮

山の中の石段を登れば鳥居がある。下の鳥居は八坂神社だったが、今度の鳥居は金毘羅宮と書いている。

鳥居をくぐるとやや広い平地があり、その奥に石の祠が祀られていた。

これが金比羅宮の御神体だ。

木が生い茂って今は海が見えないが、ここは小山の頂上なので、海の守り神金毘羅さんが祀られているのはなんの問題もない。

今回は立派な鳥居はあるが、社殿はなく石の祠だけの2つの神社だった。

過疎になった港にはよくある光景である。

蚊焼という地名

字から受けるイメージは、あの人を刺す蚊のイメージだが、古くは「茅木」「萱木」とも表記されたという。

由来に関する俗説としてかつてカヤを焼いた跡地で焼畑農業が行われたとされ、「カヤヤキ」が「カヤキ」に変化したものといわれているらしい。本当だろうか。

私は知らなかったが、「蚊焼鍛冶」の呼び名があり、刃物作りが盛んだったとある。解説では、長崎開港以降、南蛮刀作りの技法も取り入れたことで、切れ味と粘りを持った優れた刃物作れるということで、現在も続いているお店があるらしい。

西彼杵半島の茂木・河原・樺島・野母・高浜は幕府の直轄地で、深堀・為石・蚊焼・御崎の四か村は佐賀領。 なので、正確に言うと佐賀藩深堀領蚊焼である。

きれいな海と程よい大きさの港の町。神社が2つもあるというのは、人がたくさんいた証である。

参道から海が見える

鳥居と蚊焼漁港

 

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