諫早八坂町 八坂神社 元祖龍造寺家建立
島原鉄道の本諫早駅の近くで、アーケード商店街の隣の「地のかみさん」通りと昭和通りの真ん中の道で、諫早繁華街のどまんなかにある。
道脇に立派な鳥居がある。境内は平たく舗装されていて広い。
境内の周りには石碑が複数たちらなんでいる。
社殿は一段高くなっている敷地にあり、瓦屋根の大きい神社だ。
幟立の石柱があり、そこには明治39年と彫られている。
拝殿前にはしめ縄と、鈴が三つ設置され、拝殿の扉は白木で作られていて新しい。
拝殿の両側が開けはなれていて、畳敷きの床で、鴨居の上には写真額が並んでいる。
天井には枡の中に天井絵が描かれている。
神殿を見るために、左手から回り込もうとしたら、そこにはかなりの数の石碑と恵比寿さまが並んでいた。
石碑の一つには八天狗の文字が彫られている。
その石像越しに神殿を見るが、立派なものだった。
この恵比寿像と石碑群だが、特別な信仰ではなく、道路の整備や住宅の造成で行き所がなくなり、この神社に避難したものらしい。
1681年創立。諫早氏の元祖龍造寺家晴建立の記録がある。
往古は諫早神社に並置さられ祇園の際に御幸ありしのみなり。一時は下町に鎮座さられしが洪水によりて現在の地に漂着さられしとこの傅へあり。石文によれば延寶九年酉卯月(1681年4月)の創立にして往古祇園宮と稱へ舊諫早家の守護神として崇敬淺からず家晴公小祀を建てられたるを以って起源とす。
「諫早神社に並置さられ」とあるので、本明川の側にあったのだろう。いつの洪水か不明だが、流されて現在の地に漂着と書かれている。
御祭神は建速須佐男命(たけはやすさのうのみこと)、 櫛稲田姫命(くしなだひめ)。夫婦で祀られている。
ここの八坂神社ぎおん祭りは夏行われ、4時間程かけて、町内をまわるらしい。
広さといい、神社の姿といい、長い歴史が感じられ、この町の氏神的存在の神社である。
諫早市内は、武家や公家、商人の町である。
そして龍造寺家の町でもある。