為石 八坂神社 祭りの神輿だけがある
場所は為石港の近く。少し山道を登ったところにある。
この地域の海岸沿いには神社が多い。これは昔からの地形が変わっていない証だ。
この八坂神社は地図で見る限り山の中にある。
グーグルマップナビの言う通り、住宅地の細い道路を登っていったのだが、神社がある気配がない。
階段のある道に行き着き、バイクを置いてその細い道をのぼる。
道はあるのだが、背の高い雑草が道を隠している。人の往来がない証拠だ。
不安になったが草をかき分け構わず進む。この道しか他になかったからだ。
雑草を抜けると、道がひらけている。ここだろうと確信。
荒れている道を進むと、左手に石段がある。
のぼると目の前に大きい石の鳥居があった。扁額には八坂神社と書かれている。
やはり、ここだった。
鳥居の先には石の幟立てがあり、社殿があった。
瓦屋根と、白い板塀、拝殿入り口は格子の開き戸になっている。
小さな神社だ。
拝殿を扉の隙間から、かろうじて見ることが出来た。
そこには、ちゃんと細工の施された神輿が置いてあった。
神殿を見るために社殿を回り込むと、神殿が後ろの岩に、ピッタリとくっついているように見える。
おそらく磐座信仰で岩が神の依代となっているのだ。
この神社の記録はネットでは皆無だった。
しかし、あれだけ立派な神輿があるので、この町の記録にはちゃんと記されているのだろう。
祭り
為石祇園祭りが毎年7月に行われているとある。
この地域だと、この神社しかないので、この八坂神社で行われるのだろう。
おそらく、コロナ禍で何年も祭りが中止になったのだろう。
なので雑草をきれいにする作業ものびのびになっているのかもしれない。
祭神は、八坂神社なのでスサノウだと思うが、神殿が岩に直結しているので、他の神様も合わせて祀っていのかもしれない。
古代日本の疫病と手水舎
野母崎にも八坂神社があり、夏場にお祭りをするとある。
昔は悪疫消滅のために、お祭をやったのだが、今回のコロナの場合は、その逆となった。
疫病に対して、古代日本人は対抗手段を持たず、神仏に祈るのみだった。
第10代崇神(すじん)天皇の時代、国内に疫病が流行り、古事記には国民の過半数が失われたと書かれている。
国の方策は、神社を地域の連絡機関として対応するということだった。
コロナ禍における保健所のようなものだと推測できる。
このとき、全国の神社の作法として定着したのが、手水(てみず)の作法だ。
神道は汚れを祓う。そのためだとは思うのだが、口をすすぎ、手を洗う作法は、ウィルスや細菌の病気の予防方法と奇しくも同じだった。
それを全国的に徹底させたのは、疫病対策の崇神天皇の時代と言われている。
お寺やキリスト教教会に、お参りする際、手も洗わないしウガイもしない。
なので、偶然だと思うが、神社のほうが科学的に正しい方法を採っていたということになる。
神社が日本中にあるのは、そういう事が根拠になっているのかもしれない。
昔のやり方や、古い作法は、実は科学的根拠がある場合が多い。
神道もまた、そんな知恵の集まりだったのだろう。