三城町 富松神社 大村を代表する神社

長崎県大村市三城町1247 富松神社

富松神社

富松神社

富松神社

富松神社

富松神社 神門

富松神社 神門

JR大村駅と、JR諏訪駅の線路沿いの中間にある小山の裾に一の鳥居がある。

幅のある道路の脇に一の鳥居があり、右には大きい石板に富松神社と書かれている。

玉垣に囲まれた真っ直ぐで平らな参道を行く。二の鳥居がありここからは石段である。

少し上ると三の鳥居、その先を上ると左右に石灯籠があり、右手は社務所で、左手が山門だ。

お寺風で神門と呼ぶらしい。その先もあり、石段の上部には市杵島神社がある。

市杵島神社 鳥居

富松神社 神門の狛犬

富松神社 境内の土俵

富松神社

富松神社

まずは、その神門をくぐる。

普通のお寺なら仁王さんがいる場所に狛犬が鎮座している。

参道の左手には、りっぱな屋根付きの土俵がある。右手には大きな記念事業の碑があり、真っ直ぐ進むと更に石段がある。

登りきると左手には立派な参集殿と社務所。おもいで石とかかれた、背丈を図る石柱がある。

身長を測って思い出にしろということか。

右には神楽殿と手水舎。手水舎前のベンチには緋毛氈がかけられている。

正面には立派な拝殿が、どんと構えている。拝殿入り口には木の柵が取り付けられていて、拝殿入り口の梁の上には「天満宮」「富松神社」「祖匠社」の額が掲げられている。

拝殿の中はきれいで整頓されている。素晴らしい。

拝殿右手には、絵馬を掛ける場所があり、古札収納箱もある。

拝殿を回り込むと神殿があり、ここも立派。

富松神社

富松神社

富松神社 社務所

富松神社 手水舎

うーん。堂々な佇まいの神社である。大村にこんな神社が有ったんだと驚いた。

境内に富松神社由緒記の看板がある。

富松神社 由緒記

詳しく書いているので、長文だが掲載する。

創建の時期については不詳ですが、正平19年(1364)から同25年(1370)の間に、大上戸(本堂川)周辺の諸寺院で写経された大般若経の奥書に「肥前国彼杵荘大村富松社」と見え、当神社名が初めて文献上に登場します。これによって南北朝の正平19年 (1364)には既に鎮座していたことが分かります。

15世紀後半、大村領主大村純伊の時代には、大村家の守護神太良山大権現(多良岳山頂鎮座)の遙拝所、すなわち「里宮」となり、領主大村氏の篤い信仰を受けます。

しかし、その2代後の大村純忠のキリシタン入信に伴い、天正2年(1574)、領内社寺がキリシタンによる焼き打ちに遭う中、当神社もその被害を受けて灰塵に帰します。

荒廃すること30年余。江戸時代に入ると、領内よりキリスト教が一掃され、従来の神社仏閣の復興策が企かられる中で、慶長年間(1596~1615)に、もとの社地に再興されました。その再興に際して、荒廃した社地に残った老松に一団の霊火が飛来したことが再興の契機になったとの伝承から、再建時から元禄年間(1688~1704) までは「飛松宮」の社号を用いています。

江戸期には、殊に藩主大村氏が藤原姓を名乗ったことから、藤原一門の祖神・奈良春日大社の御祭神「天児屋根命」を祀る社として、藩主・領民の篤い信仰を受けました。

寛永9年(1632)には佐賀・呼子沖の加部島の田島神社より、平野七右衛門が専従の神主として招かれ、その後小島家が明治の初めの頃まで、代々社家 (神主家)を務めます。

明治の神社制度により西大村地区の村社となり、大村部の一部をも含めた西大村の産土神社となりました。 昭和63年社殿改築の折、旧社殿両側に鎮座した森園天満宮と祖匠神社とを新社殿に合祀し、相殿としてお祀りしています。 古くより「とんまつさん」の名で親しまれ、現在でも鎮守の氏神様として、篤い信仰を集めています。

要所だけ抜き出してみる。

南北朝の正平19年 (1364)には既に鎮座していた。これはかなり古い神社だ。

天正2年(1574)、領内社寺がキリシタンによる焼き打ちに遭う。これがとても残念である。

慶長年間(1596~1615)に、もとの社地に再興。昭和63年社殿改築。

長崎の神社仏閣は、キリシタン焼き討ちで、大きな神社仏閣は一度消失している。このおかげで古い重要な文化財を日本は失うことになった。

西洋発症のキリスト教だが、この排他的な思想は、西洋人が持つ原質だと思う。これだけとっても、西洋と東洋は相容れない人種的な隔たりが存在している。

博愛の精神を持つキリスト教だが、他者を攻撃する時はキリストの名において行っている。そこには矛盾があると思うのだが、そうではないらしい。

富松神社

富松神社

富松神社 拝殿

富松神社 神殿

 

祭神

天児屋根命アメノコヤネノミコト、健磐龍命タケイワタツノミコト。伊邪那岐命、伊耶那美命、天忍穂耳尊アメノオシホミノミコト、神倭磐余比古命カムヤマトイワレヒコノミコト、菅原道真公

錚々たる神様たちである。

天児屋命 「古事記」には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。

通称として、春日神、春日権現(かすがごんげん)、春日大明神ともよぶ。

大村氏の祖は藤原氏だという話から、藤原の祖神・奈良春日大社の祭神を祀ったのだが、この手の話は、ほとんどが作り話である。

健磐龍命は阿蘇大明神という神号を持つ。この神社と熊本、阿蘇のつながりが不明だ。

天忍穂耳尊は天照大神の子供。神倭磐余比古命は神武天皇。

という事は富松神社は高天原系の神様と阿蘇の神様、それと神武天皇がメインだと思う。

神社を見てもすぐわかるが、神仏混合の神社だ。

神門と呼ばれる神社の門は初めて見た。門番代わりの狛犬もまた面白い。

この神社の上にある、市杵島神社だが、大村空港の場所にあったのだが、空港建設でここに引っ越してきている。

市杵島神社

市杵島神社

市杵島神社

市杵島神社 拝殿

市杵島神社

市杵島神社

また、この神社は戦国時代に大村氏本城として築城された三城城跡の一郭にあるという。

色んなものが、この神社の中にあり、中身の濃い神社である。

姿形もよく、大村を代表する神社だとおもう。

富松神社

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