東町 役行者神社 水場には阿修羅像あり

東町 役行者神社

東町 役行者神社

役行者神社

役行者は「えんのぎょうじゃ」と読む。長崎市東町の長崎街道沿いの道脇にある。道路脇なので番地はない。

反対側には八郎川が流れていて見晴らしはいい。

役行者神社

役行者神社

役行者神社

水汲み場

阿修羅像

しっかりとした鳥居が建てられていて、左右に石灯籠があり、其の奥に素通しの祠の奥に役行者の像が祀られている。

古くて顔がはっきりしないが、両脇に家来の鬼がいるようだが、赤い前掛けのためよくわからない。

祠の左側には水汲み場があり、お地蔵さんや自然石の碑が建てられている。

水汲み場の左側には顔が3つある石像が鎮座している。手も複数あるようなので、おそらく阿修羅である。

私が行った時には水は無く、もう使われていないのかも知れない。

八郎川

地蔵

だが、向かいの八郎川にパイプが引かれていて、そこから水が流されている。私が行った時に年配のご夫婦が多くのペットボトルに水を汲み車に運んでいた。

「ここの水は美味しいですか?」「美味しいですよ」という答えが帰ってきた。

この水場は今でも健在だということだ。

長崎街道 楠川(くすがわ)の渡し

其の左手には案内板があった。

長崎街道 楠川(くすがわ)の 渡し

 八郎(はちろう)川の上流に楠川(古賀(こが)川・樟木(くすのき)川)と呼ばれる支流があり、旧 長崎街道 はここ 役行者(えんのぎょうじゃ)神社付近から、この川の飛び石を渡って川向いを通っていました。
 かっては楠川のそばの古賀村と矢上(やがみ)村の境に一本の大楠があり、人々に親しまれていました。
 役行者神社の「役の行者」とは、「役の小角(えんのおづの)という奈良時代頃の人で、奈良の葛城山で荒行を積み、吉野の金峰山(きんぷせん)で霊感を修得して呪力を身に付けたといわれ、後に 山岳信仰 が盛んになると、 修験者 の祖師として信仰されるようになりました。
 この神社から街道を少し北側に向かうと、右手に「従是南佐嘉領(これよりみなみさがりょう)」と書いた領境石標があります。

なるほど、ここから旅人は川を渡っていたようだ。

天気がよく、川の水が少なければ問題と思える幅なのだが、昔はおそらく護岸工事もしていなく、川幅も広かったと思えるので、水かさが増せば命がけの川渡りだったのだろう。

また、この辺りは大きな集落もないので、追剥や強盗も出没していたと思われる。

だから、霊力抜群の役行者の像が祀られていたと思う。お地蔵さんもあったが、やはり役行者や阿修羅のほうが効きそうである。

役行者は有名だが、一応解説も載せておく。

役 小角(えんの おづぬ / えんの おづの / えんの おつの、舒明天皇6年〈634年〉伝 - 大宝元年6月7日〈701年7月16日〉伝)は、飛鳥時代の呪術者。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)などとも呼ばれている。姓は君。
実在の人物だが、人物像は後世の伝説も大きく、前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場でも役小角・役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。ウィキペディア

役行者を神様と呼ぶには難がありすぎるが、祀ることで神様になったかもしれない。

修験道の創始者とも言われ、山の上にはよく祀られている。

実在の人物だったというのも素晴らしい。

最近はパワースポットブームなので、好きな方は訪れてもいいし、水を汲みに来てもいいだろう。

ただ、力が強すぎて、遊び半分で訪れると祟りがあるかもね。

役行者神社

八郎川

 

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