沖縄 那覇への旅(14) 海崖の波上宮
斎場御嶽を出たのが午後1時位で、これから1時間かけて那覇に戻る。
私は長崎県内の神社を巡っているので、沖縄の神社にも興味がある。そこでいくつか候補を上げていたのだが、あまり時間がなさそうなので、二つまわることにした。
その一つが那覇の海の崖にある波上宮(なみのうえぐう)である。
琉球の神道
神道とあるが、本土の神道とは全く違い、琉球固有の多神教宗教と事である。
琉球神道は自然発生的に生まれ、有名な神様は、琉球の創造神であるアマミキヨ(アマミク)とシネリキヨである。
ニライカナイから、アマミキヨとシネリキヨという男女神か゛降りてきたという話から始まるのだが、ニライカナイは高天原、アマミキヨ(女神)とシネリキヨ(男神)は古事記のイザナギとイザナミとだいたい同じである。
たくさんの独自の神様がいるが、本土の古事記の神様と置き換えて考えれば、それほど突飛ではない。
本土の神道では神社に当たるのが、御嶽(うたき)であり、「拝み山」 などともいう。
波上宮に行ってみると、大きな鳥居があり、石灯籠、手水、拝殿、それと明治天皇の銅像があり、まさに日本神道の神社である。
解説では主祭神、伊弉冊尊 (いざなみのみこと)、速玉男尊 (はやたまをのみこと)、事解男尊 (ことさかをのみこと)
相殿神 竈神(火神)産土大神、少彦名神 (薬祖神)と書かれている。
これは、日本の神道である。
沖縄には、日本の神道の神様は存在していない。
という事は、作られた神社の歴史があるということだ。
神社の数だが、日本で一番少ないのは沖縄県で、その数は15社だ。二番目に少ない和歌山県の448社と比べても、沖縄県の神社数が圧倒的に少ないことがよく分かる。
沖縄で最初の神社は、14世紀後半に創建されたと伝えられる。
琉球八社という神社がある。これは、琉球王国において「琉球八社(官社)の制」により王府から特別の扱いを受けた8つの神社である。
『琉球宗教史の研究』によれば、琉球には臨済宗と真言宗の2派の仏教が伝えられ、殊に臨済宗が厚遇されたが、真言宗寺院にも王府から寺禄を給された8公寺が存在した。これら8公寺は神社と併置された。
大和の神仏習合をそのまま取り入れたのだ。
しかし、大和の神道と仏教の取り込みは、民衆が望んだものではなく、ただ国王およびその一族と国家の無事安泰を祈願してのものであったため、社寺は貴族階級の信仰対象であるに止どまり、一般民衆はほとんどそれらと結合されていなかったのだと言う。
このため、神社寺院には氏子や檀家がなく、地元の民衆と信仰的に直接結合しているものは各村落にある御嶽拝所であったのだ。
なので、結論から言えば、琉球は琉球独自の信仰のまま、今に至っている。
波上宮はもともと琉球の信仰がベースになっていて、明治以降、沖縄県になった今では、形式は熊野信仰になっているだけである。
沖縄県になって以後、第二次世界大戦でアメリカ軍が占領し、その後日本に復帰した現在では、日本風になってきていると言われている。
私が参拝したときも、七五三のお祓いを受けている家族に出会った。
時代がそうさせたのである。
海岸の大きな崖の上に立つ波上宮は、現在も沖縄総鎮守として信仰されている。
『波上宮 略記』では、遥か昔、人々が海の彼方の海神の国(ニライカナイ)の神々に豊穣や平穏を祈った聖地が当社の鎮座する波の上の崖端で、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まると述べている。
それはそれで良いのだと思う。