西彼町 上岳神社 伝統の八朔祭り

長崎県西海市西彼町上岳郷254-1

休業している長崎オランダ村から長崎方面へ206号線を進む。大明寺川を渡り、セブン-イレブン 西海亀岳店が見え、そこから左方向に左折すると神社につく。

上岳神社

上岳神社 一の鳥居

上岳神社 二の鳥居

上岳神社 三の鳥居

上岳神社 拝殿

上岳神社 拝殿

上岳神社 神殿

直ぐ側に長崎県立西彼農業高等学校があり、夕方神社についたので、下校する高校生たちがたくさんいた。

神社の鳥居の右側に創立350年記念の大きな石碑が建っている。他にも由緒を書いてある石碑があり、寛永十四年に創建されたとある。

石段は急で、登り切ると広い境内にでる。右手に土俵があり、ブルーシートで覆われている。

境内の左手には公民館が建っていて、神社より少し大きい建物だ。

神社は瓦葺きの拝殿で、向拝所の屋根の上には、逆さになった狛犬が鬼瓦風に飾られている。

拝殿の扉はしまっていて、隙間から見ると、板張りで神殿入り口には、住吉大明神と書かれた額が架かっていた。

外に出て神殿の方に行くと、異様に高い神殿があった。なにか深い意味があるのだろうか。

上岳郷公民館

左手の敷地には、大きな上岳郷公民館がある。

毎年、八朔祭りが行われているようで、そのための出し物(浮立)の道具が置かれていると思われる。

「八朔」とは、旧暦で8月1日のことで、現在の暦では9月上旬に当たる。 秋の種まきを終え、作物の収穫が近付く時期に、五穀豊穣を祈る祭りとして八朔祭りは行われている。

各地の神社にもあり、いわゆる秋祭りの事である。

郷土史に上岳神社の事が載っていたので、転載する。

十六、上岳神社
上岳郷鰐渕の丘にあり、うっそうと繁る楠や椎の古木に囲まれている。
祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命で神体は木像。 寛永十四年(一六三七)、上岳郷中で建立し、住吉大明神を祀る。昭和四十二年(一九六七)に社殿を改築した。
明治三年(一八七〇)の神社改正により、住吉大明神、八幡宮、山王権現を合祀して上岳神社となった。
伝統的な八朔祭りは、八月最終日曜日に氏子総出で盛大に行 われる。神輿と浮立が約一キロの遷宮通りを練る。終わって神輿を社殿に納めお祓いの後は、堂振舞(どうぶり)といって酒宴を張る。
平成九年(一九九七)、三六〇周年にあたり神輿が新調された。
神社総代は三人、宮当人は各組から二~三人で合計一五八、 一年交替の廻り番である。
八朔祭りにちなむ相撲大会などは第四部「各郷の歴史」を参照。

上岳神社 八朔祭り

上岳

上岳という名前なので、このあたりに上岳という山があるのかと思ったが、それらしき山はない。

また下岳神社というのもある。上岳、下岳というのは地域名で、神社は関係していないみたいだ。

近くのコンビニはセブン-イレブン 西海亀岳店と書いている。亀岳保育園というのもある。

海の方には亀浦大神宮神社があるので、この上岳は亀岳の事だと思う。

近くには大明寺川が流れているので、住吉神を祀るのは理解できる。

また、このあたりには、古代の遺跡が複数あると書いてあるHPもあった。

この神社は1637年に建立されているが、大村藩の管轄なので、キリシタンによって破壊された神社を修復したのかもしれないと思う。

このあたりの地域は、古代の記録もあるが、その後の記録がなく、横瀬浦が脚光を浴びるまで、沈黙を守ったままである。

うーん。

想像だが、古代は船で寝泊まりをする海人族がたくさんいた地域ではないかと思う。

この複雑な入り江は、船にしてみれば素晴らしい港ばかりだと思うからだ。

色々思うのだが、証拠がなく想像だけで終わっている。

やはり気になる地域である。

上岳神社

上岳神社 盃状穴

上岳神社

 

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