長与 摩利支尊神社
長与町吉無田郷328-1。長与二中のそばにある。
長与地域は昭和になって開発が進んだ地域である。現在は色々整備されて、人気の街になっているが、周辺部は昔さながらの田園風景がかなり残っている。
吉無田郷の地名だが、無田とは草が茂っている沼のことで、水が近い所という意味。つまり湿地帯のことで、九州には多く、福岡の大牟田も同系統。吉はおそらく葦(あしとも言う)の事だろう。
つまり吉無田は葦の茂った湿地帯だということである。
玉と王
一の鳥居の神額には摩利支尊天玉と書かれている。社殿の前の鳥居の神額や拝殿には摩利支尊天王だ。
単なる書き間違いとも思えるが、鳥居の神額である。なにか意味があるのだろう。
推測だが、玉と王を使い分けているのが、将棋の王将である。
もともと将棋には「玉将」しかなかった。しかしいつの間にか「王将」も使うようになる。
こうなると理屈を言うものが出てくる。
「天に二日なく、地に二王なし」との言葉に基づき「王将」は1枚とし、上位者(後手または上手)が「王将」を使い、下位者(先手または下手)が「玉将」を使うのが慣例となっている。
つまり、王が上位で、玉が下位なのである。
この神社を作った人は、一の鳥居は下にあるので、わざわざ玉と王を使い分けたのだと思う。
鳥居の製作者は将棋好きだったのかもしれないのかなとも思う。
摩利支尊
一部のHPには摩利支尊を「すりしそん」と読みが振られているが、「まりしそん」が正解である。
一般的には摩利支天(まりしてん)と言い、仏教の守護神である天部の仏様だ。
摩利支天は隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる仏様で、武士には人気があったとされる。
本来は古代インドのウシャスという暁の女神だったのだが、男神像としても造られるようになった。
日本では護身や蓄財などの神として、楠木正成、毛利元就、山本勘助や前田利家も信仰していた。
神社は急な石段の上に有り、古いが格式を感じさせる建物である。
境内の左手には下に降りる石段が有り、少し広くなっていて相撲の土俵がある。
奉納相撲が盛んだったようだ。その先には長与二中のグランドがある。
境内にはトイレも有り、この地域の氏神として盛んに信仰されていた証である。