高浜 八幡神社
長崎市高浜町3963。場所は野母崎に行く途中の高浜海水浴場の裏にある。
「高浜 八幡神社」のキーワードで検索して出てくるのは、高浜八幡神社秋季大祭の相撲大会の話題がほとんどである。
創建に関しての記録はない。
社殿は大きくないが、立派な作りである。
鳥居が妙に低いのが気になったが、白壁の塀で囲まれていて、八幡神社らしい。
祭神の仲哀天皇は日本の第14代天皇。日本武尊の子で神功皇后の夫である。
熊襲を討つため親征したが敗れて、熊襲の矢に当たったともいわれ筑紫で崩御。
嫁の神功皇后の三韓征伐の勇ましさと比べれば、やや悲壮感が漂う神様である。
高浜
「たかはま」は篁の濱(たけのはま)から発生したもの。篁は竹の林や竹やぶの事をいう。山の裾野まで入江となり取り巻く陸地には篁が生え茂っていたとある。
八幡神社は武家が信仰する神社である。
という事はこの地域に武家一団が居たということになる。
高浜の歴史
深堀文書には、深堀家は戸八浦(野母崎半島西岸)の地頭職としてこの地に赴き高浜野母を治める役職を果たすと同時に高浜を開祖したと書かれている。深堀家は最初三浦という名字だった。鎌倉幕府の旗揚げに加わった武将の一人で、神奈川県三浦半島の武将だ。その結果、源頼朝より千葉県いずみ郡大原町深堀に領土をもらい、その後、1225年長崎の戸八浦(現在の戸町以西)の地頭となり、姓を変えて深堀と名乗る。つまり、高浜は深堀家の所領だったのだ。しかし、深堀家惣領家18代純賢の時に、大村藩の領土長崎へ出入りする商船を差し止めた事が海賊行為とみなされ、秀吉の怒りをかい、領土を没収される。その結果、高浜、野母は天領となった。髙浜についてHPより抜粋しました。
八幡神社は深堀家の所領の時期に建てられたと思う。
それにしても、神社横の土俵は立派である。
神社と土俵はセットだ。相撲大会は、その地域住民の楽しみでもある。
これを思えば、お寺と違う神社の果たす役割が見えてくる。