八幡神社(若草町)
城栄町の商店街を山の方に進むと、交差点があり、その角にこの神社がある。
城栄町だとばかり思っていたが、ここは若草町だった。
若草町は戦前までは城山町のハズレだった。
若草町が出来たのが、昭和41年である。城山町の人口が膨らんで、城栄、青山、富士見、若草の5箇所に分割された。
町のネーミングも当たり障りのない平凡な発想だが、馴染めばそんな事も考えなくなってくる。
大元の城山という名前だが、14世紀の南北朝時代、この地域一帯には浦上氏が仕切っていて、護国神社がある小山に砦が築かれていたためとも言われている。
神仏習合
この八幡神社だが、小奇麗に整備されている神社である。
裏手には墓地があり、そこには弘法大師の祠がある。昔は神仏混合だったので、神社とお寺が同居していたのだろう。
墓地を見ればカトリックの方と思われるものもあり、神仏カトリックと、まさに長崎のちゃんぽん性を発見できる。
隣に稲荷社があるのは、ここが商業地域のせいだろう。
またこの八幡神社は毎年「くんち」が行なわれていて、地域の拠り所になっているのも伺える。
八幡神社
八幡は、はちまん、やはた、やわたとも読む。
八幡神は応神天皇と同一視され、祭神は応神天皇、その父の仲哀天皇の場合が多い。
八幡の由来は、神功皇后が三韓征伐の時に対馬に寄った際に、八つの旗を祀ったといわれ、そこから「八幡(やはた)」という言葉が生まれたと言われている。
長崎には神功皇后伝説がたくさんあり、近くの立岩神社は神功皇后の部下、竹内宿禰が祀られているので、この八幡神社も関係しているのだろう。
また、八幡神は武家から武運の神として信仰されているので、元城山だったこの地に、武士が関係しているのかもしれないと思う。
ヘビ型のしめ縄
一つ気になったのが、しめ縄である。
入り口の鳥居のしめ縄は、両端が細く、中央が広い。ごく一般的だ。
しかし拝殿のしめ縄はヘビ型である。
ヘビ型のしめ縄は案外珍しい。たしか佐賀の金立の神社で見た事がある。
元々しめ縄はベビが絡み合う姿から来ているという。
なぜ拝殿と鳥居のしめ縄が違う形式なのか、この神社を管理している人に聞いてみたいところである。