大瀬戸 熊野神社 西彼半島最大の雪浦川と自然信仰

大瀬戸町雪浦

長崎県西海市大瀬戸町雪浦下郷1213番地1 202108大瀬戸町雪浦

国道202を進み、雪浦川を渡らずに小規模の住宅地へ進むと山側にある。寺の石垣角に道案内板があり、つがねの滝や音浴博物館、九州自然道などの方向を矢印で示している。

真光寺の石垣脇にある石段を登ると一の鳥居。

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社

真光寺を左手に見ながら、更に石段を登る。

50メートルほどの結晶片岩の石段の左右に土俵や忠魂碑が祀られている。さらに登りきると神社につく。

左右の狛犬の台がしっかりしている。それほど大きな拝殿ではないが、木造作りで年代が経っているのがわかる。

回り込んで神殿を見ると、しっかりとした石組みの上に立てられていて、この神殿も年代を感じさせられる。

神殿の右手に更に石段があり、登ると石の祠が祀られていた。後で調べると大杉神社の末社らしい。

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社神殿

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町雪浦 熊野神社 土俵

この神社の祭神はスサノウ。

熊野神社は長崎でも数が多い。なんとなく山際の場所に多いような気がする。

正式に言えば、熊野神社とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神である熊野権現の勧請を受けた神社の事なのだが、祭神がたくさんいて、いまいちわからない所がある。

この神社は雪浦地域の氏神様だ。

創建は1677年。大村藩主大村純長が、領主に命じて建立。現在の社殿は昭和5年(1930年)に再建されたものとある。

この地域の領主について

豊前国田川郡(福岡県)の庄屋であった田川氏が、正平年間(1346年~1370年)に雪浦にやって来て、本村の「城の越」に鳥越城を築き、この地を領したといわれています。

やがて、大村純忠の治世を迎えますが、秀吉のキリスト教禁止令により、ヤソ教会領が公領となった天正15年に公領となりました。

その後、慶長10年(1605年)に再び大村氏に返され、大村左近が所領しました。しかし「大村一門払い」により、大村左近が追放されてからは、冨永四郎左衛門忠清の所領となり、以後、代々冨永家が300年におよび支配することになります。

「群村誌」には雪浦村の東方は深山幽谷、広漠の原野多しとあるそうで、西彼半島では一番大きな雪浦川と深い山々に囲まれた、静かな静かな地域だったようである。

ただ雪浦川は度々氾濫を起こしたとあるので、やはり平穏だっただけではなかった。

雪浦川の川沿いには、かつての番所、庄屋、冨永家、山ノ口、制礼場、問役所、横目屋敷などがあり、民家も軒をつらね、当時の本村でした。河口の浅瀬にはアサリ貝が多く、その貝の中には小さなカニがいて、これを雪浦名産として大阪方面に売り出していたともいわれています。

熊野神社だが、自然信仰の代名詞みたいな神社で、古い信仰を併せ持つ地域では、大体熊野神社になっていると思う。

最後に雪浦川上流には、ホゲットウ石鍋製作所跡がある。

この種のものとしては国内でも最大規模を誇る遺跡で、今からおよそ千年前、平安時代末期のものと推定されている。

熊野信仰は、平安貴族がおおいに信仰したというので、その時代から熊野信仰はこの場所にあったのかも知れない。

天気のいい日に雪浦川の河口に立てば、その川の大きさと緩やかさに心が和らぐ。

そんな地域である。

大瀬戸町雪浦 熊野神社

大瀬戸町 雪浦川

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