小川町 八幡神社 鈴ではなく鰐口が付けられている
場所は諫早市、長崎県立総合運動公園から島原方面へ行き、小ヶ倉川を過ぎて、右方面の道に入る。
入り口は大きな道路沿いにあり、短い石段を上がった所に一の鳥居がある。
敷地全体は背の低い石垣の上で、左端と右側に仏様を祀った祠がある。
左手の祠は木で作られていて、右手の祠は分厚いしろいコンクリート製。
中に鎮座している仏様たちは、みんな、おおきな涎掛けで顔しか見えず、仏様の種類はよくわからない。
一の鳥居から続く舗装された参道を少し行くと、二の鳥居。これが最後で更に進み、石段を上ると社殿が現れる。
向拝の上に屋根がついている。これは権現造(ごんげんづくり)と呼ばれているものだと思う。
神社の建て方も色々あり、それぞれ特色があるが、その土地の流行りもあるし特別な決まりはない。
屋根は瓦屋根だ。屋根も銅葺きと瓦葺きがある。銅葺きの場合は神社らしさが満開で、神道系だと思うし、瓦屋根の場合、お寺の雰囲気もあり、神仏習合系かなと思う。
建物全体は、それほど大きくなく古い。
境内は広く、記念碑や不明な祠が点在している。
拝殿の入り口には、鈴ではなく鰐口が付けられている。
一般的には神社では鈴で、ガランガランと鳴らし二礼二拍手一礼だ。
その鈴の代わりに鰐口だ。鰐口の場合、神社でも設置されるが、やはりお寺が多い。
拝殿の扉は閉まっている。
回り込んで神殿を見るが、やはり古さを感じてしまう。これは板塀のせいだと思う。
祭神は應神天皇。延享3年(1747)創建。
八幡神社は武家が好む神社である。
誰が建てた神社かは不明だが、武家が関わっているはずだ。
しかし、一の鳥居の左右にある、仏様を祀った祠や拝殿の鰐口をみれば、神仏習合の神社だったのは間違いなく、神社の創建が1747年となっているが、それ以前からこの場所は、この地域の聖地だったと思う。
この神社の沿革として、長崎刑務所の移転によりその敷地を売却その代金で八幡神社を改築。落成、平成3年とあった。
今でも信仰の厚い氏子さんたちに支えられているのがわかる。