西彼町亀浦郷 聖眞子大権現 日蓮宗の影響が大きい

長崎県西海市西彼町亀浦郷1301 聖眞子大権現

聖眞子大権現

聖眞子大権現

聖眞子大権現 一の鳥居

聖眞子大権現

聖眞子大権現 土俵

聖眞子大権現

聖眞子大権現 日蓮聖人

聖眞子大権現

バイオパークの東側の海岸線、亀浦郷港近くにある。港から山へ登る道にあり、境内へ直接車で入れる。

一の鳥居はしっかりとした石垣の上にあり、左手には日蓮宗の碑が建てられている。鳥居をくぐり50段ほどの石段を登ると二の鳥居だ。

その先は境内になっていて、二の鳥居と社殿の間に、ブルーシートで覆われた土俵がある。

社殿は瓦葺きの大きい建物で、神社風ではない。拝殿を見ると仏像と日蓮上人の額が祀られていて、仏寺である。

聖眞子大権現は「しょうしんじ」と読むのだが、つい「せいまこ」と女性の名前風に読んでしまう。

聖真子 しょうしんじ
滋賀県大津市坂本の日吉大社の大宮および二宮に配祀の五座中の一つ。伝教大師によって名付けられた賀茂大明神(別雷神)の法号。

この地域には聖真子の名が付く神社が、此処を含め三ヶ所もある。

西彼町白似田郷1498 聖真子権現
西彼町上岳郷 聖眞子大権現

聖真子が日吉大社由来なので日枝神社も二ヶ所ある。

西彼町白似田郷 日枝神社
西彼町平原郷 日枝神社

つまり、この地域には比叡山関係が5ヶ箇所もある。

ある地域に、似たような神社が複数ある場所は、長崎でも何箇所かある。やはり、その信仰を主とする勢力が複数あった証だろう。

西海市の琴海側は日蓮宗の影響が強いと思う。それは大村藩が日蓮宗だからだろう。

日蓮は比叡山延暦寺で遊学し「阿闍梨」の称号を得ている。

聖真子の名は『法華経』に依拠するもので、正統な仏法の後継者を意味するものである。それゆえ、この地域は日蓮宗の地域と考えてもいいと思うのだ。

この神社の一の鳥居と境内には日蓮宗の碑がたっていて、本堂には日蓮上人の額が祀られているのが、その証である。

神社の数が多いのは、各地域孤立した地域である事と、神社が地域の集会所だった事によるだろう。

亀浦郷小干針尾平にあり、小干浦の鎮守社。 * 『郷村記』・「亀浦村」に、「小干浦鎮守 聖真子権現 神体金仏例祭九月十九日妙経寺勧請 神殿 入二尺横一間一 舞殿入四尺二寸 横一間 瓦宇 拝殿 二間梁三間 瓦宇 石鳥居 一基 境内竪十五間、横十間、石段五十段 当社ハ寛永ノ比村中より建立、天和三 癸 亥年再建」とある。 九月十九日宮日、十一月二十九日の願成就は奉納相撲が催され、戦前は各地から力士が参集した。毎月十九日は権現様の命日で、家内安全を祈りお経をあげる。公民館ができるまでは郷会、婦人会、子供会、青年会などの集会所でもあった。

聖眞子大権現 拝殿

聖眞子大権現

聖眞子大権現

仏教の話は難しいし、特に比叡山絡みは難解だ。

しかし、神仏習合で聖真子権現を祀る人びとは、神と仏の区別を意識しないで信仰を続けてきた人たちである。

奉納相撲は神道の神事であり、家内安全を祈りお経をあげるのは仏教である。

だが神仏を分ける必要は庶民の中では、全く無かったと思う。

それが日本人の信仰だからである。

西彼町亀浦郷

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