沖縄 那覇への旅(5) グスクと琉球の信仰
首里城もグスクである。城と訳されている。
首里城を見れば、やはり城だと思う。「グ」が石、「スク」が囲った場所を意味している。
沖縄にはグスク時代の遺跡が多数ある。本土の戦国時代の城とは異なり、戦いに備えた建築物とは限らず、館や拝所であったと考えられるものもあり、地域、時期、により形態や呼び方に違いがある。三山時代には王や按司の居城となっていた。ウィキペディア
グスクの説
A「聖域説」沖縄の信仰の聖地として、御嶽(うたき)があり、グスクはもともと御嶽であったと考える説。
B「集落説」もともと集落として発生し、周辺を石垣で囲ったものとする説。また、(A)とあわせ、御嶽を中心に発達した集落であるとする説。
C「城館説」地域の有力者の居城として構築されたとする説。
一般的に考えれば、地域、時期によってグスクの意味は変遷をたどったと思われる。
「沖縄の聖地の歴史を調べてみたら、 かなりトンデモナイことが起こっていた 武部拓磨」という本には、聖域説をとっていて、かなり詳しく書かれていた。
グスクが聖域なら、日本と比較してみる。
日本の場合、聖域という言葉なら、やはり神社だろう。
山や岩が聖域で拝礼所の神社や鳥居が建てられている。ただ日本の場合、聖域には城は建てない。
なぜかと言うと、天皇神話がしっかり根付いていて、神様の場所に建物を建てたり、集落にはしない。
神様は、天皇の祖先であり、神聖にして犯してはいけないからである。
ところが沖縄は天皇神話の影響がなかった時期が続く。だから聖域に城のようなものを建てて住めるのだ。
この事に気づくまで、私も色んな本を読んでも、みんなピンと来なかった。
そうか。沖縄には天皇神道がなかったんだ。
という事は絶対的な神がいないので、グスクごとに神がいて、神の一族がその場所に住んだということである。
特徴的なのは、神女の存在です。琉球の信仰では、男性より女性の方が優位でした。 祭祀を司る女性の事を「ノロ」、より一般的な総称として「神女」と呼びます。神女は、日本の寺社における神主や僧とは若干、役割の異なる存在です。
神主・僧は神仏と人間のパイプ役となるいわば人間代表ですが、神女は、神そのものとみなされました。ただし、生まれた時から神であった訳ではありません。聖地に入って、神をその身に憑依させる儀式を経て神女となりました。
「沖縄の聖地の歴史を調べてみたら、 かなりトンデモナイことが起こっていた 武部拓磨」より
神女という言葉を聞いて、邪馬台国の卑弥呼を想像した。
日本は大和朝廷が早い時期に日本をある程度統一し、神道神話が国々まで浸透していく。
なので日本において天皇は神の子孫であり、絶対の存在だ。
沖縄は統一が遅かったので、グスク毎に神がいて、聖域があり、そこには神女がいて、神女に力を与えられ超人となったのが、男の支配者「按司」という事なのだ。
そして沖縄は統一される。
そうなると、首里城の神が唯一になり、他のグスクからは男の支配者「按司」が追放されていった。
この道筋をたどったのである。
中山世鑑
日本の神話は古事記で712年に書かれたとされる。
琉球にも国土創成の開闢神話があり、神話を記した最も古い文献は1650年に編纂された琉球の正史「中山世鑑」である。
1429年に琉球王国が誕生して、121年も経って正史が書かれたという事は、体制側に都合のいい部分があるような気がするし、中国の子分になっているので、中国への忖度も気になるところだ。
ただ不思議に思うところがある。
中山世鑑は全6巻。巻頭部分は漢文で記述され、正巻部分は全5巻で、和文で書かれている。和暦の採用や、源為朝(鎮西八郎)が琉球に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとする(『琉球神道記』、『保元物語』、『平治物語』などにも同様の記述がみられる。)記述がある。
源為朝が琉球に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったという件である。
これはどう考えればいのだろうか。
日本に忖度したとも考えられるが、薩摩侵入以前からすでに琉球に当伝説はあった可能性があり、琉球王国は日本人の王をしっかり受け入れていたと考えたい。
グスク時代は、稲作の定着で、急激に国の形を取り始める時期でもあった。
グスクが聖域だとしても、琉球が統一されるまで、神も統一されていなかったのだ。
故に神と巫女は直結し、邪馬台国のような国の形を取ったのだと感じる。
基本は自然信仰だと思うが、政治が絡み始めると、その形が変わり始めるものだ。
大和は短くても1500年以上も天皇が存在していた。さらに侵略もされず、属国にもなっていない。
琉球王国は450年だが、ずっと中国の子分であり、後半は薩摩藩が支配していた。
そんな中で信仰も変わっていったと思う。