沖縄 那覇への旅(12) ひめゆりの塔の悲劇

私が行きたかった場所が「ひめゆりの塔」である。

まず平和祈念公園に行く。

摩文仁の丘陵地を南に望み、南東側に美しい海岸線を眺めることのできる平和祈念公園は、休日ともなると多くの家族連れがくりだし、広い芝生で球技を楽しむ等、子供達の歓声で賑わいます。
“沖縄戦終焉の地”糸満に整備された広い敷地には、沖縄戦の記録写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、国立沖縄戦没者墓苑をはじめ各県の慰霊塔などがあり、人類の恒久平和をアピールしています。
1995年に除幕した「平和の礎」には、国籍や軍人、非軍人を問わず、沖縄戦で戦死した全犠牲者23万8千人余の氏名が刻まれており、戦争で失った肉親や知人の名前を探す来園者が大勢見受けられます。
https://www.pref.okinawa.jp/site/doboku/koen/ryokuchi/heiwakinenkouen.html 沖縄県HP

平和祈念公園

平和祈念公園

平和祈念公園

海の見える広い丘にある。

ガイドさんは、なぜ沖縄の地が戦場になり、日本軍の強硬な抗戦が被害を拡大したと話す。

その話しぶりに日本軍部非難の匂いがまとわりついている。

非難すべきは、無差別攻撃を日本に加えたアメリカ軍である。そこが話から抜け落ちている。

沖縄は現在も基地問題で大きく揺れ続けている。この話は、ここではしない。いろんな考えの人がいるからだ。

長崎も平和公園はある。

一つだけ思うのは、この丘に記された戦没者の方たちが、今の日本を支えているという事だ。

静かに合掌をする。

ひめゆりの塔

ひめゆりの塔

この後、有名なひめゆりの塔に行く。

慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでいる。「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、元来は「姫百合」であったが、戦後ひらがなで記載されるようになった。ウィキペディア

私は吉永小百合さん主演の「あゝひめゆりの塔 」という映画しか知らない。

ひめゆりの塔 自然洞窟(ガマ)の中に逃げ込んだが、毒ガス弾を投げ込まれひめゆり学徒隊は殺害された

ひめゆりの塔は自然洞窟(ガマ)の前にある。

この「伊原第三外科壕」と呼んでいた洞窟にひめゆり学徒をはじめ軍人や住民およそ100人が隠れていた。

解散命令直後の6月19日早朝、その出口のないガマに米軍は、毒ガス弾(黄リン弾)を投げ込み、ひめゆり学徒隊など80人あまりが殺されたという話である。

映画などは脚色があり、事実と離れているところがあると思うが、アメリカ軍が洞窟に毒ガスを投げ込みひめゆり学徒を死亡させたというのは事実である。

ひめゆりの塔

資料館

兵士が戦争で命を落とすのは理解できるが、民間人、それも若い女性が巻き添えに合うのは納得できない。

こんな話は他にもある。日本が無条件降伏をした直後、旧ソ連軍は樺太を侵攻し、孤立無援の真岡郵便局9人の電話交換手は自決している。

ひめゆりの塔

戦争の悲劇は至るところにある。この事で私が何を感じたかを書く。

おそらく人間の世界では戦争はなくならないのだと。

残念ながら、民主主義も、平和主義も、エコロジーも、地球温暖化も、その正しさが見えてこない。

グローバライゼーション、グローバル化、世界化、地球規模化などともいう拡張型思想は争いの温床である。

世界中の言葉が違うのは、棲み分けが人間の基本だからだと思う。

大きな勢力が対立すれば、人類は共倒れをする可能性がある。

なので小さな単位に分かれることで、人類は生き延びる可能性を見出していると思う。

生物の生き残り戦略は多様性だ。それを無視した時、悲劇は起こるのだろう。

身近な言葉で言えば、意見や感覚の違う人と、仲良くする必要はない。

適度な距離で棲み分ける事こそ、争いが最小限度で収まるからである。

ひめゆりの塔

偉そうなことばかり書いたが、悲劇の場所へ行けば胸が詰まる。

それは誰でも同じだろう。残念な歴史だと思った。

 

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