白似田郷峯岳 市杵島神社 巨大な陰陽岩とアホダラ経

西海市西彼町白似田郷峯岳 市杵島神社

長崎市内からバイオパークへ向かう206号線で進み、バイオパークの近くの白似田の交差点から東方面大村湾沿いに進む。

神社は標高165mの峯岳頂上にある。神社一帯は峰岳緑地公園になっているが、あまり公園らしくない。後で複数の駐車場があるとわかった。標識がないので探すのは難しいと思う。

取りあえずグーグルナビで、参道中腹の脇に着く。下を見れば門のようなものがあった。しょうがないので下まで参道を降りていき確認すると、道脇の入り口で、峰岳緑地公園と書かれた井の字の木枠のような門だった。

市杵島神社

市杵島神社

市杵島神社 休憩所

そこから急な参道の石段を登る。

これが結構距離があった。参道の両側は、森で石段には手すりが付いている。

登り切ると、大きなコンクリート舗装された道に出て、公衆トイレまである。道を横切り、更に登ると、右脇に立派な休憩所が建てられていた。

市杵島神社

日本で名高いアホダラ経文

その先の右手上が神社のようで、手前に石碑が複数ある。

その中の一つに「日本で名高いアホダラ経文」という石碑があった。

あほだら経は、軽快な早間口調の俗謡で、幕末期から明治期に多く見られたという。文の最後に昭和十年奉納と書かれている。峯岳の事を歌っているようだ。なんと粋な奉納だろう。

なぜ戯れ歌を奉納したかといえば、この神社の三月十五日の祭礼は、いまも峰部落全戸参加でおこなわれ、戦前は「峰余興団」の演芸、東彼地区からの出店などで賑わったという。

まあ、山の上とはいえ神社のお祭である。みんなで楽しんだと思われる。

市杵島神社

市杵島神社

市杵島神社 拝殿

社殿は小さいが新しい。拝殿もシンプルで奥に神殿があり、石の祠が祀られている。これが祭神の市杵島姫だろう。

社殿の裏側や左手には、巨大な岩が複数あった。

特に社殿の裏手には、棒状の岩が起立している。その岩の下には祠があり、その岩を祀っている。

社殿左手の岩は2つ重なっていて、そこには毘沙門天が祀られていた。

この石の配置と大小の岩の形を見てピンときた。

これは陰陽石だ。長崎市立神の桜谷神社とそっくりである。

長崎 立神 桜谷神社 陽岩

長崎 立神 桜谷神社 陰岩

長崎の磐座達 立神は巨大な男根
https://artworks-inter.net/ebook/?p=2273

陰陽石とは男女の陰部に似た形の石。女性の陰部の形状をしたものを陰石、男性の陰部に似たものを陽石という。俗信によってこの二石を並べてまつったりする。精選版 日本国語大辞典

陰陽石に見なされた岩は少しいびつだけど、間違いないだろう。

毘沙門天

毘沙門天

磐座

磐座を祀る祠

磐座

山の上に海の神様の市杵島比売命を祀っているのは不思議だと思ったが、最初は弁天様を祀っていたという。

『郷村記』・「中山村」に、「峰岳弁財天 神体石座像 例祭九月十五日 村中ヨリ祭之石祠石鳥居 一基」とある。

寛文十一年(一六七一)大村藩主大村純長の発願により大村弥五左衛門純茂が弁財天を建立した。

弁財天は明治三年 (一八七〇)、妙経寺に移され、市杵島比売命を祭神として市杵島神社と改められた。

一の鳥居は文久元年(一八六一) 中山村庄屋志田五兵衛、二の鳥居は天保五年(一 八三四)山口勘左衛門、志田五兵衛、山口五郎治、伊東儀左衛 門、本田万右衛門、横目沢木友兵衛、田添安右衛門、森治兵衛、 石橋治左衛門、田中源右衛門、定右衛門、庄右衛門、武右衛門 と寄進者の名が読める。三の鳥居は村山七太郎が昭和十七年(一 九四二)、出征中の長男の武運を祈って寄進した。

もともと石祠と小さな石像の神体が祀られていたが、昭和四十九年(一九七四)、氏子総代田崎猪佐雄が社殿を寄進、平成四年(一九九二)現在の社殿に建て替えられた。

現在は峰岳山頂一帯は町の緑地公園として整備され、駐車場、展望台、三六二段の石段が築かれている。
三月十五日の祭礼は、いまも峰部落全戸参加でおこなわれる。 戦前は「峰余興団」の演芸、東彼地区からの出店などで賑わった。

弁天様を祀っていたのなら、毘沙門天の陰陽石があるのも納得する。

弁天様と毘沙門天は「七福神」の一員だからである。

山の上の弁天様の例は、兵庫県六甲山山頂にある大きな磐座をご神体とする六甲比命神社は弁財天を祀る、とされる。(略)役行者と弁財天が邂逅したという伝承のある場所の磐座には役行者の像が鎮座する。ウィキペディア

もしかしたら、この地域に六甲比命神社を知る人や関係者がいたのかも知れないと思う。

この神社を紹介している文には、陰陽石のことは一言も出ていなかった。

わかっていたけど、書くのをためらったのかも知れない。

なにせ今は公園だからである。

だけど、陰陽石を祀る場所で、峰余興団がこの神社の祀りを盛り上げている絵が浮かぶ。

神社は神聖なだけではなく、子孫繁栄も祈る場所である。

決して卑猥ではない。

聖と俗はコインの裏表である。それを付け足しておく。

市杵島神社

市杵島神社 麓から鳥居が立っていた

西彼町白似田郷

コメントを残す