西海町 八幡神社

長崎県西海市西海町川内郷986 八幡神社

瀬川港

八幡神社

八幡神社

八幡神社

八幡神社

西海町川内郷の瀬川港沿いの国道の脇にある。

一の鳥居は港へ向いていて、参道の急で長い石段を登り切ると、古いが厳粛な雰囲気の神社が現れる。

胴銅葺きの権現造り。

左手の境内には土俵があり、ブルーシートで覆われている。

拝殿には「明徳維馨」の大きな額が掲げられている。

「明徳惟馨」とは書経にある 「黍稷非馨明徳惟馨」黍稷の馨(かぐわし)きにあらず、明徳これ馨(かぐわ)し。神さまにお供えする食べ物よりも、人間の徳こそがかぐわしい香りを放つ の一節。

いかにも八幡神社らしい。

創立は寛文二年(一六六二)二月と郷土史にある。「初め丹納に祀る」の記述あり。丹納とは西海町丹納郷丹納の事で、川内郷の隣の郷のことである。

神社の入口に立て札があったので文を掲載する。

八幡神社(川内)
鎮座地 西海町川内郷字池の川九八六番地 社 殿 銅板葺 一三坪(本殿一坪、幣殿四坪、拝殿八坪)
社務所一二坪 境内地三、五六六平方メートル 創立 寛文二年(一六六二)二月創立。初め丹納に祀る。
明治七年、八幡神社と公称し、村社に列せられる。 現在の社殿は、昭和一一年改築。
御祭神 品陀和气命 御事蹟御祭神の品陀和気命は、第一五代応神天皇のこと。
天皇は、仲哀天皇・神功皇后の第四皇子である。国内の政治を改め、海外と交流し、富国強兵をなし、
中国・朝鮮より学術技芸などの大陸文化を盛んに取水り入れ、国力の充実、日本の文化向上発展に尽された。
奈良時代、元明天皇をはじめ皇室の崇敬厚く、九州に宇佐八幡宮が、平安時代には、京都に石清 幡宮が、そして鎌倉時代、鎌倉に鶴岡八幡宮が建立され、その数は、全国で三万余社におよぶといわれ ている。大神は、鎌倉時代、源氏一族の武人の神、民衆の神として崇敬された。また、御母の神功皇后と御子 の応神天皇とを母子神とした信仰も広まり、母の慈愛とこどもの健やかな成長を願う神として親しまれ、崇敬されている。 祭 日 元旦祭一月 一日
夏越祭 七月二〇日 秋季大祭 九月一五日
新穀感謝祭 一一月二三日 氏子数 四二〇戸(石田、江里、丹納、木場、日守、太田原、開田、川内浜、高地、古里)

八幡神社

「明治七年、八幡神社と公称」とある。それ以前は何という名前だったのか気になる。

神社の由来の記述は少なく、あとは祭神の話である。

こんだけ立派な神社なので、なにか由緒があると思ったのだが、本当に特別な由緒はないのかもしれない。

この地域の神社は、1600年初期の創立が多い。やはりキリシタン禁止令のせいだろう。

大村藩は生き残りをかけて、いろんな地域のキリシタンの匂いを必死で消している。

この神社は立派な作りだが、なんだかこの地域に場違いな感じがした。

もしかして大村藩のキリシタンの匂い消しの為だけで、こんな立派な神社を作ったのかなと思う。

これは私の想像である。

もしかして、もっと深い由緒があるのかも知れない。

八幡神社

八幡神社 神殿

八幡神社

瀬川港

 

 

 

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