長崎黄金伝説

異説か真実か!誰も触れなかった真の長崎の姿を検証する。NO,8

長崎港に黄金が眠っている。

稲佐地区の伝説である。

「恵比須神社」の前に小島があって金島(こがねじま)と呼んでいた。

この金島の下半分は金であるが掘ってはならぬという言い伝えがあったという。

不思議な話である。

この話は「稲佐風土記」という本の中にある。

事実、金島という島は実際に存在していた。

悟真寺稲佐地区に悟真寺という寺がある。

ここに相思相愛の男女を、いっしょに葬った比翼塚(ひよくづか)というのがある。

密貿易で処刑された豪商と、それをはかなんで自殺した丸山の遊女の骨が一緒に埋められているという。

二人の骨は金島で発見されたのだ。

この金島は今はない。

三菱造船所の増設で埋め立てられてしまっていた。

ebisusya2古い地図を見ると、稲佐のこがね山恵比須神社の前に「はだか島」という名前の島が書いてある。
たぶんここに間違いはないだろう。
しかしこの島は不思議な点が多い。

(長崎名勝図絵の釛山恵美須神社(現飽の浦町)の絵の左下部に「はだか島」が描かれてある。)

第一に、名前である。金島とかいてこがね島と読ませる。

ふつう「こがね」は黄金と書くのが普通である。

そしてこの名前は、神社からつけられたという。

この神社の正式な名前がこがね山恵比須神社という。

さらに神社の由来も不思議なのだ。

この神社は、江戸時代の初め、大黒町が(現在の駅前付近)が開かれたころ、自宅に恵美須神を祀っていた人がいた。

しだいに近隣の信仰を集めるようになり町名も恵美須町と呼ぶようになったとある。

そんな恵美須様をわざわざ、稲佐の辺鄙な海岸に移した人がいた。

小柳五郎左衛門道長という人だ。

名前からすると武士であろう。

ここで問題なのは、なぜ稲佐(瀬の脇郷)のその場所に祠を移したかということだ。

記録によると、代官所に出願して瀬の脇郷の海岸のそびえたつ崖の一角を削って広くして地面をならして神社を立てたとある。

他にも場所はあろうかと思われるのに、わざわざ崖を削って広くした。かなりの大工事だっただろう。

いくら稲佐が辺鄙だといっても長崎港の入口である。

山の中に作るのではない。

その時代は、キリシタン弾圧により、長崎で踏み絵が始まっている。

そして神社が出来たその3年後には、出島が完成している。

最後の謎に、金島は一時期、罪人を磔にした処刑場であったという。

神社の目の前である。

神聖な神社の前を処刑場にするのはおかしい。

これで、すべての謎は出そろった。

金島という名前。

処刑場。

意図的に建てられた神社。

そして金が埋まっているが掘ってはならぬという伝説。

これらを総合すると一つの事実が浮かび上がる。

それは「みせしめ」である。

えびす神社のえびすとは、日本人以外の異邦人の事をこう呼ぶ。

又、海の向こうからやって来た、「漂流神信仰」の事でもある。ある地方では、水死人や水子のことも戎とも呼ぶ。

漫画家の蛭子(えびす)さんの名字は「ひるこ」とかいて「えびす」と読ませる。

蛭(ひる)の白い体と、ぶよぶよした感じが、水死人や水子を連想させるからである。

この金島の処刑は、外国人への見せしめであり、又、日本人の密貿易の見せしめであった。

稲佐には、ほかにも貿易でもうけた豪商の家もあり、密貿易を警戒したのであろう。

金島のこがねは、そういう事をしてもうけた財宝のことであり、掘ってはならぬというのは

「するな」ということであろう。

黄金伝説とは、密貿易のことであり、 密貿易で得た様々な宝をこの島に埋めたのかもしれない。

幕府はそれを知り、この島で処刑した。

長崎奉行ならこれくらいはするだろう。

島原の乱の天草四郎時貞は、捕らえられた後に出島の門の前で首をさらされていた。

すべては見せしめである。

黄金か死か、これはまさしく長崎の裏の歴史かもしれない。

出島


■新長崎伝説 長崎のミニコミ月刊誌「ながさきプレス」連載の短編