島原半島は雲仙岳をいただく大きな島

これは日本の航空工学者、暦法家、九州大学工学部航空工学科助教授の真鍋大覚(まなべ だいかく)氏の説である。

九州大学の真鍋大覚先生

九州大学の真鍋大覚先生

詳しくはWEBで調べると、ちゃんとした人だということがわかる。

 

真鍋大覚 http://seikotutop.web.fc2.com/data5/jyo.htm

3500年前の九州は ○博多湾と有明海は太宰府付近を瀬戸にしてつながっていた。

○福岡平野,筑紫平野は海底にあり、福岡地方は群島だった。

○島原半島は雲仙岳をいただく大きな島だった。

 

邪馬台国時代のだいぶ前の頃の話しだ。

縄文時代は今から約1万6,500年前から約3,000年前くらいと言われている。

九州の半分は島々で、縄文の人たちは船で行き来していたことだろう。

島の集まりならば、島々に違う文化が育ったのかも知れない。

魏志倭人伝より 女王国より北方にある、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国の他に、遠くに在って国名だけしか分からない国として斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国があり、女王国はこれら二十数箇国を支配していた。

邪馬台国の時代は3世紀ぐらいなのではっきりとは言えないが、九州の中に、こんなにたくさんの国があったと言うことは、むかし西九州が島の集まりだった事に由来するのかも知れない。

 

国と言うより種族くらいの規模だったのかも知れない。

「まぼろしの邪馬台国」の宮崎康平氏の謎解きは、「博多湾と有明海は太宰府付近を瀬戸にしてつながっていた」ということかが重要になっている。

宮崎康平氏

宮崎康平氏

そして、島原は雲仙岳をもつ巨大な火山島だったという。

 

島だけど原島ではなく島原。高天原の原と同じだ。

 

原は「原っぱ」という意味だけでは無い。

原理などという源の意味もある。

水が湧き出るもとの意味もある。

雲仙は、水ではなくお湯の源である。

とりとめもないが、島だけど原島ではなく島原。

 

謎は深まる一方だ。  

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