日本最大の謎 神武東征の本当の理由

空から見た海

空から見た海 photo by Takemura  

神武東征(じんむとうせい)は、初代天皇であるカムヤマトイワレビコ(神武天皇)が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでの日本神話の説話である。 ウィキペディア

神武東征

 

僕はこの神話が、日本最大の謎だと思っていました。

なぜ、ふるさとを捨てて東へ行くのでしょうか。

もちろん色んな説を読みましたが 心情的に納得できるものではありませんでした。

 

僕は九州長崎生まれですが、大学は東京に行きました。

それは、東京に出てみたいという好奇心からでした。

それでも10年後にはふるさとに戻ってきました。

九州人なら、わかってもらえる(?)と思うのですが やはり、ふるさとが一番なんですね。

 

人間には向学心があり、旅に出ることは青年の証でもあります。

それは、わかるのですが 神武東征は国が動く規模です。

まさにモーゼのように約束された地を探すたびに似て その困難さは、想像を絶すると思います。

 

 ところが、徐福伝説、火の国説を思いついた後 「あっ」と思ったのです。

徐福伝説は、日本中海沿いに残っています。

そして徐福にはに福永・福万・徐仙・福寿という 4人の子供たちがいました。

日本中海沿いに残っている伝説こそ、徐福が 日本に来た証拠だと。

 

徐福伝説

徐福

 

徐福は「火の国」を本拠地に構えましたが 一緒に来た複数の、徐福船団は海沿いに 散らばったと思います。

それは、やはり不老不死の薬を探す為か 新天地を求める冒険の旅だったのでしょう。

 

徐福の子供たちも、ふるさとを後にして 新天地を目指して、東へ移動したのではないかと考えます。

それは、東京を目指していたときの自分と同じだと思えるからです。

 

徐福時代から時間は過ぎ 邪馬台国、もしくはヤマトのなかで 発言力を持つ「卑弥呼」を筆頭とする 火の国一族には、東方に行った祖先たちの話が 延々と残っていたのでしょう。

そして、東方の国に徐福王国の末裔たちが 国を作っている事も知っていたのでしょう。

 

国が安定した時、「火の国」一族の次の巫女 「とよ」。

魏志倭人伝では(「臺與」(台与)と書かれています。) 「とよ」は「豊」として、ヤマトの中に組み込まれていったのですが 祖先の「東方」への旅立ちと成功は、伝わっていたのです。  

 

これが神武東征の心情的理由なのです。

東へ向かった徐福王国の分身たちをたずねる為に 若き神武天皇は、九州を旅立ったのでしょう。

神武東征

神武東征

 

徐福伝説が色濃いく残っている、佐賀以外の場所に 三重県熊野市付近があります。

この地は、誰もが知っている「ヤマト」の本拠地です。

 

これは偶然の一致ではありません。

徐福伝説とヤマトと重なるのです。

そして、伝説の神武天皇は、まさに昔の僕に重なります。

 

東京の親戚のおばさんを頼って 僕は東京へ旅立ちました。

話のたとえのスケールが小さくてすみません。

しかし、これは真実だと思います。

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