諌早は勇敢な海の男の一族!?

諌早(いさはや)市は長崎県の中央より少し北にある、長崎県第3位人口14万人の都市である。

もつれ合って難解な「諫早湾干拓関係訴訟」は全国的に有名である。

ひ

http://www.sankei.com/premium/news/150217/prm1502170002-n1.html

諫早湾干拓「水門開いても閉じても国は制裁金」 最高裁決定の“不可解” 国も司法も解決できぬ“迷路”(産経ニュース)

この諫早市、字が少し難しい。

正しい字は、いさ・める【×諫める】の諫をつかう。

ごんべんに東は略字だ。

諌早はむかし伊佐早と書いてあつた。

この「いさはや」という名前だが、 「歴代鎮西要略」には、「大寶元年辛丑、肥前州高来郡温泉神社垂跡、分身末社四所産、曰山田神、有家神、千々石神、伊佐早神」とある。

確かに701年の記録に、すでに伊佐早という名前が出ている。  

寄り道の話し

温泉神社は島原半島の各地にあり、雲仙岳周辺に4箇所創建されたことから「温泉四面神」とよばれている。

大元は雲仙岳にある温泉神社だ。 温泉神社

温泉神社   本来四面宮は、『古事記』の国生み神話に由来する九州(筑紫島)総鎮守の神様をお祀りする神社である。

『古事記』の「次に、筑紫の島を生む、子の島もまた、身一つにして面が四つあり、面ごとに名がある」から四面神はきている。

この文の中には、筑紫を白日別、豊の国を豐日別、肥の国を建日向日豊土比泥別、熊曾の国を建日別と言うとある。

長崎は建日向日豊土比泥別だ。

漢字ばっかりで分かりにくいが、どう読むかというと「たけひむかひとよくじひねわけ」というらしい。 http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono407.htm

このホームページによると 「建日」は「勇猛な」 「向日(むかひ)」は、「朝日を拝む神聖な場所」 「豊久士比」は、「台与のように神聖で神秘的な」 「泥」は今の汚い「泥」ではなく、美しいという意味らしい。

ということで、「その他の火の国は、勇猛でもあり、朝日を拝む神聖な土地もあり、台与の力により神聖で神秘的な国でもある。」という意味らしい。

なんとも、凄い名前である。 特に「豊久士比」は、「台与のように神聖で神秘的な」という解釈は、 肥前国が、邪馬台国に関係があるといっている。

http://nihonsinwa.com/page/1794.html

他の説もある。 肥国だから「ヒ」を三つ入れて、太陽神を表す「タケヒ」と、同じく太陽神を表す「ムカヒ」。 そして豊かな、クシ(奇=霊威が強い)な、泥(泥は土壌改良・肥料に使える)

なるほど 台与は出てこないが、良い土地だということらしい。

話を元に戻すが、ここに書かれている山田神、有家神、千々石神、伊佐早神は、豪族の名前だろう。

山田、有家(ありえ)、千々石(ちぢわ)、伊佐早

この地名は今でもある。

神というのはこの場合領主という語感だ。

この記録があるのは701年で、昔学校で習った大宝律令(たいほうりつりょう)の制定の年である。

日本はやっと、天皇を頂点とした国家という形式を作り上げた時代である。

この「いさはや=伊佐早」という言葉はどこから来たのだろう。  

たとえば、千々石町名の由来については池の名前であった土歯池(ひじはいけ)が転訛して千々石になったと言われている。

伊佐早の「いさ」は古代から砂地の意味をもつ地名となっている。

「イナ」も「イサ」も古代から砂地の意味をもつ地名となっている。伊讃とか伊佐などの大方は砂地を意味する地名である。

稲佐.引佐.などの「イナ」は、砂地.または、砂丘.砂州などのところの地名であり、「サ」は、接尾語-小さいを意味する接尾語である。 (稲佐風土記 松竹秀雄先生.著)

たとえば「イサ」とは-いさ【鯨】クジラの古称。 いさな。

壱岐風土記逸文「俗(クニヒト)、鯨を云ひて伊佐とす」とある。

漁り場からいさはやになったという説もある。

なかなか決定打がない。 そこで目線を変える。


伊佐という地名は多い。

鹿児島県の北部に位置する伊佐市がある。

伊佐氏は、結構有名で様々な伊佐氏が活躍している。

常陸国伊佐庄(伊佐郡)の伊佐氏は有名で、伊達氏と同族である。

http://www.ktmchi.com/rekisi/cys_42_14.html

肥前国彼杵郡の伊佐・福田などの諸氏は、貞盛流で刀伊入寇の際に活躍した平為賢(常陸大掾維幹の子)の流れ。

1019年には平為賢(ためたか)が刀伊の乱を治めて名を上げました。

この一族に九州総追捕使を務めた伊佐平次(伊作平次)がいて、その子孫から川辺氏、頴娃氏、給黎(きいれ)氏、薩摩氏、別府氏、揖宿(いぶすき)氏、知覧氏、阿多氏など、今日の鹿児島の地名に残る薩摩武士の一族が派生しました。

鹿児島の歴史探訪シリーズ3

いずれも年代が違ったり、現在の実情に合わなかったりと、なかなかぴったりこないが、 ひとつ、心に響くものがあった。  

五島鯨突|葛飾北斎|千絵の海

(五島鯨突|葛飾北斎|千絵の海)

鯨の古名である。

万葉集では、今の鯨(クジラ)を指すとされる言葉は「イサナ(鯨魚、鯨名、勇魚、不知魚、伊佐魚)」又は「イサ」であり、捕鯨は「イサナトリ」「イサナトル」である。 ウィキペディア

勇壮な鯨の別名「伊佐魚」から名を取った一族が語源のような気がする。

有明海は、小型のイルカ「スナメリ」がいた。

イルカも鯨も同じ種である。

大きさに違いこそあれ、まったく的外れではない。

また長崎県自体は捕鯨県であり、五島の鯨は有名だ。

「いさはや」の「いさ」は鯨の「いさ」だろうと推測する。

鯨が語源だとすれば、全国にいさが存在しても不思議ではない。

肥前伊佐氏や常陸国伊佐氏も大昔は親戚だったかも知れないのである。  

もちろん結論は出ないが、勇敢な海人族が住んでいた地を「いさはや」といい、そこに誕生した武士の集団は伊佐早氏を名乗ったのではないかと推測される。  

むかし、伊佐早は深く海が入り込み、平野は僅かしかなかったとある。

だから船越等と呼んでいた時期もあるらしい。

有明海の干満の差は日本一である。

だから「いさはや」という名は、砂浜の多い地の勇敢な海人族の集落を伊佐早と呼んでいたと思う。

これが伊佐早氏の誕生である。  

更にもう一つ。 魏志倭人伝で、邪馬台国の説明の件に「男子無大小、皆黥面文身」とある。 海人族は入れ墨をしていた。

それを黥面といっていた。

鯨のように黒い入れ墨をみんなしていたという。

海人族「いさ」は、鯨のように入れ墨で真っ黒だったかも知れない。  

空想だが

真っ黒な入れ墨をした勇猛な「いさ」族。

その一族ですばしっこい勇敢な者がいた。

彼の名を「いさ-はや」という。

彼はその地域を統治した。

そして、伊佐早神と呼ばれた。

  どうだろうか。 あるような気がする。  


  参考文献 稲佐風土記 松竹秀雄 高来の風 諌早・北高の歴史と文化 (肥前歴史叢書 (12))外山 幹夫 諌早史談 田中為一 諫早市教育委員会

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