甕棺(かめかん)は繭(まゆ)のカプセル

どんなに賢いチンパンジーでも、墓は作らない。

獣が人になった証は、墓を作った時である。  

今、私たちが古代のことを知るには遺跡を発見した時だけである。

墓を暴いて初めてその地に眠っている人達のことを知るのである。  

吉野ヶ里歴史公園にいって、墳丘墓のコーナーを見た。

甕棺と呼ばれる壺の中に入っている人骨が展示されていた。

 

甕棺  

甕棺墓列 ~一般の人々の墓地~

http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=13

甕棺[かめかん]とは北部九州に特有の棺のことです。大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、弥生時代中頃のおよそ200年の間、盛んに使われていたようです。

 

古代の墓の種類で、そこに埋葬いる人達の種族がわかるという。

確かに、葬式の仕方は種族によって違うだろう。

様々な学者がいろいろ調べているので、学者でもない僕はこの事に関して深く述べることはない。

この文章を書いたのは、展示されている甕棺の模型を見て感じたことを書く。  

蚕は絹である。

 

絹がとれる蚕は家蚕(かさん)とも呼ばれ、家畜化された昆虫で、野生には生息しない

またカイコは、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、餌がなくなっても逃げ出さず、体色が目立つ白色であるなど、人間による管理なしでは生育することができない。

蚕

 

実に不思議な昆虫だ。  

吉野ヶ里歴史公園では、子供達のために蚕から糸をとる実演をおこなっていた。  

 

蚕

日本にはいなかったはずの蚕だが、古事記や日本書紀にいろいろ登場する。

蚕を日本に伝えたのは秦氏といわれている。

秦氏は『日本書紀』において、応神14年(283年)、天皇に仕えた弓月君を祖とし、百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されている。

古事記に蚕が登場するのは神代の時代なので、もしかすると秦氏が蚕を持ってくる前から、大陸の蚕技術が伝わっている可能性がある。  

甕棺の話しに戻る。 展示されている甕棺は貴人用だと思われる。

黒く塗った2つの甕棺があわされている。

甕棺2  

 

甕棺が蚕のカプセルにみえた。  

 

蚕というのは糸をとるため、蛾になる前に殺蛹(さつよう)する。

鍋で茹でて中の蛹を殺すわけだ。

糸を取り終えた繭の中には、死んだ蚕が収まっている。

死んだ蚕は食用としていた。

甕棺の中に埋葬されるのは、蚕と同じだと思った。

甕棺は蚕の繭じゃないか。

何の根拠もないが、直感として思った。

 

繭

高価な絹糸を採取した後の繭。

微妙に中央がへこんでいる。

養蚕は貴重で重要な産業である。

繭はゆでて殺さなければ、蛾としてふ化する。

その様子は、死者の復活を連想させる。  

死者用の大きな土器を作るのは手間と暇がかかると思われる。

その手間をかけて、繭として弔った人々の気持ちが見えるようだ。

死者を繭に戻し、復活を祈る。  

モスラ

あの怪獣モスラは、蛾である。

あんなもの怪獣として登場することが不思議だったが 蚕が日本人の心の中に染みこんでいたのだ。

 

モスラ

 

いま、納得した。

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