箸しか使わない日本

日本人は箸を使う民族である。

その起源を知れば、日本の文化の源流のヒントがあるかと思い調べてみた。

 

例のごとくまずウィキペディアである。

世界の約3割の人が箸で、4割が手で、残り3割がナイフ・フォーク・スプーンで食事をしているとの統計があり、これは、食物の違いや調理法に起因するとする見方がある。ウィキペディア

なるほど

日本、中国、台湾、シンガポール、ベトナム、タイ、ラオス、カンボジア、モンゴル、朝鮮などで日常的に使われてきた。ウィキペディア

 

アジア全域で使われていたということがわかる。

 

中国や朝鮮では匙を主に使う匙主箸従型である一方、日本では主に箸が使われ、また澄まし汁や味噌汁といったスープにも箸を使用するため、椀を手に持って口に運ぶのも日本だけであるとされる。

なるほど、日本以外はさじがメインで、日本は箸のみである。

 

これは、日本独自の文化かも知れない。

麺を食べる文化を持っている国は、麺を食べる時だけ箸を使い、メインはさじである。

韓国も中国もタイも箸とスプーンの文化である。

なぜ、日本人はさじを食事に使わないのだろうか。

答えは、食器を口に持っていって汁を飲むからである。

食器に直に口を着けて食べる習慣
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7008840.html

幾人かの民俗学者は、この事に関しては皆一様に「日本特有の“穢れ”を嫌う風習」から来てるのだと言っています。

何を使っても優劣は無いと思うが、箸しか使わない日本は独自の食文化を持っていたといえる。

 

さて、その箸文化だがいつから日本に出現したかというと

2本で1膳の「唐箸」を食事に使い始めたのは、5世紀頃とも、6世紀中頃に仏教とともに百済から伝来してからとも言われるが、朝廷の供宴儀式で採用したのは聖徳太子とされ、607年遣隋使として派遣された小野妹子一行が持ち帰った箸と匙をセットにした食事作法を取り入れたものと言われる。

日本で最も古いとされている箸は7世紀後半の板蓋宮跡および藤原宮跡からの出土品とされる。ウィキペディア

とかいてある。

ちょっと待ってくれ。

中国では
最古例としては、殷墟(BC 14 世紀ごろ - BC 11 世紀ごろ)からの青銅製の長さ 26 cm 、太さ 1.1 - 1.3 cm の箸六本の出土が報告されているが、食事用ではなく菜箸のような調理器具であったとされる。

とある。

それまでは日本人は手づかみで食事をしてきたということになる。

そんな事があるだろうか。

 

手で食べることが悪いということではない。

インドでは宗教上の理由で手でものを食べるが、手でものを食べる習慣がある国は、暑い国だからという説がある。

 

日本は四季があり、冬は雪が降る国である。

縄文時代の出土品にはお椀のような小ぶりの土器がある。

縄文

歴史の本にも書いてあるとおり、食料の保存や煮炊きには縄文式土器を用いるようになっている。

石器時代には煮炊きしているということは、それを食べる時に手で食べていたという事だろうか。

 

さじや箸は当然、セットで必要なのである。

それなのに、5、6世紀に箸を初めて使ったと、学者の人はいっているのである。

それは間違いである。

 

僕と同じ疑問をもち反論しているページがあった。

おハシと神代文字
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1459.html

ところが日本の考古学会では、何故か、30cm以下の棒状のものは、ことごとくこれは「簪(かんざし)」であると分類し、これを「箸(はし)」だと分類したものはひとつもありません。
「ひとつも」です。

同感である。

古事記にスサノウが出雲におりてきた時に「箸」が川上から流れてきたという件や、箸墓の古墳など、記紀にも箸の話は出てくる。

 

しかし、学者の人が口を揃えて言うのは魏志倭人伝の話しである。

邪馬台国の記述に(倭国では)飲んだり食べたりする時は、竹籠や高坏を使い、手で食べるというのがある。

だから、その時代には箸などは使っていないというものだ。

この件に関しても、反論がある。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1459.html

卑弥呼が何を食べていたかという研究がある。

http://www.mealtime.jp/shokublog/naohashi/2013/08/post-163.html

主食は米、粟を蒸した強飯、鳥肉や魚肉菜などを混ぜた汁粥などであり、副食には魚介の鱠(刺身)や塩焼き、干物、ワカメやアラメのど海藻の熱汁、ダイコン、カブ、フキ、ノビルなどの塩茹でや塩漬け、茹でたサトイモ、桃、柿、梅、李、マクワウリなどの果物、栗、栃、榧などの木の実、それと口噛みの酒、あるいは果実酒、である。

粟を蒸した強飯、汁粥、海藻の熱汁を手づかみで食べていたというのだろうか。

 

「食飲には高杯を用いて手食す」の件だが、弥生時代後期の土器をみても、様々な種類がある。

もちろん高杯もあるが平皿やお椀の様なものもある。

岡山県古代吉備文化財センター

http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/saguru2-4.html

湯原町ヒロダン・小坂向遺跡

高杯だけで食事をするはずがないのである。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12136674417
高坏は縄文時代晩期に「台付き鉢」として同様の種類が存在し、特別な食事や祭事に使われたと言われています。

 

倭人伝の視察団が倭国にきた理由は女王卑弥呼が招いたと思われる。

漢委奴国王印の金印の話しがある。

後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った印がこれに相当するとされるという。

 

邪馬台国は後漢に贈り物を贈っている。

つまり、後漢が大きい国だと知っているのだ。

当然後漢の文化もある程度わかっていただろう。

という事は中国式の食生活や食事作法は承知の上である。

国賓を招く時、最大の注意事項は食事と寝る場所である。

そんな国賓だからこそ高坏に果物や干し肉など積み上げて差し出したのではないか。

果物などはどこの国の人間も手づかみで食べるものだ。

あんまりここで力説しても、空回りしそうなのでやめておくが、

この倭人伝の記述にはつじつまの合わないところも多く、すべてを信じるわけにはいかないのは、学者の人も異論は無いであろう。

 

日本人が古代、箸かスプーン(竹ベラ)を使っていなかったという理由に、遺跡から出土されていないという事実がある。

 

しかし、箸などは木や竹で作ったものである。

前述にあるが、細長いものはすべてかんざしと分類されているとのこと。

大陸で何世紀も前から使われている箸やさじを日本人は使っていなかったと推理するほうが無理がある。

 

稲作の伝来や、渡来人が日本にたくさんやってきたと学者の人は言うが

もしその通りだったら、大陸の箸やさじの道具も当然人とともにやってきたはずである。

それをどう説明するのだろうか。

 

青谷上寺地遺跡遺跡から出土した木製品の数々(鳥取市青谷町青谷 弥生時代の集落遺跡)
木のさじを使って食事
http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/index-2/G9kinobunka/kodaikinobunka/kinobunka2/aoya/aoya.html

匙・杓子の歴史は縄文時代に遡り、鳥取市福部郡の栗谷遺跡ではドングリを蓄えた貯蔵穴から杓子が見つかっています。
青谷上寺地遺跡では、20㎝以下の手頃なサイズも数多く見られ、あまり装飾を施さない薄手の造りは、使い心地が良さそうです。

あるじゃないか。

手づかみじゃない。当たり前である。

 

縄文や弥生時代の出土品にアクセサリー類が多く出土されている。

箸に似ているかんざしも出土品は多い。

まあ、かんざしも箸も同じようなものだから、出土されても見分けがつかないだろう。

日本の箸は木製で先が尖っている。かんざしも同じである。

また複雑な木製品も鉄器の普及でたくさん出土されている。

いままでかんざしや祭祀用品と判別された中に箸が混じっているかも知れない。

ただの木片として見過ごしているかも知れない。

縄文時代

http://okome-okome.sakura.ne.jp/data/Netdata/%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6/kaku-isekinew.htm

さまざまな骨角器

 

料理方法が多様化して、器の種類も増えた縄文時代や弥生時代、大陸ではさじも箸も使っているという環境の中で、日本人だけが6世紀まで手づかみでものを食べていたということ自体に無理がある。

 

学者の人はそう思わないのだろうか。

 

稲作を伝えた人達や秦氏などの渡来人は、自分の国では箸を使い、日本にやってきたら手づかみで食事をしたというのは、あまりにも想像力がなさ過ぎる。

箸やさじを使っていることを前提に、学者の方には遺跡を発掘して欲しいと思う。

 

古代、必ず箸はある。

 

確信だ。

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