宮崎県の口蹄疫で考えること(2010年)
宮崎県の口蹄疫 。
2010年の牛の疫病ですが、農林水産省が英国の家畜衛生研究所にウイルスの解析を要請していたが、香港のほか、韓国のウイルスとも98・59%一致することも判明した、とある。
古代から、大陸から様々な影響があった事を示唆している。
例えば天然痘。
日本でも古くから記録があり、737年の流行には聖武天皇の妃である光明皇后の兄弟4人がこの疫病に倒れ、光明皇后は法隆寺の夢殿を建立して4人を祀ったとされている。
日本書紀には、(崇神天皇の)五年に疫病が流行り死亡するもの半ば過ぎとある。
日本の古代では、渡来人の登場で日本は大きく変わっていった。
渡来人は様々な驚異的な文化を持ち込んだ。
しかし、その裏では様々なウィルスも持ち込まれていたはず。
古代の日本が、呪術的なリーダーが主流だとしたら 病気の蔓延は、リーダーの責任として取られてしまう。
様々な政権交代には、天変地異が絡んでくるのですが 今回のウィルス性の病気も重大な役目を背負っていると思われる。
下記のホームページで古代の記録があったとかかれている。
http://okwave.jp/qa/q5015377.html
朝鮮の古代史『三国史記』の新羅の193年に、倭人が飢えて千人も渡来した記述があります。 飢饉はいろいろの原因で起こりますから、192年に稲の作付けが出来なくて米の収穫が出来なかったから、193年は飢えたと考えますと、日本でインフルエンザが発生したのは、190年~192年の間と思われます。
189年に漢の元号が3回も変わっています。
反逆・革命が起きても3回も変わることはないでしょう。
188年から189年にかけてインフルエンザが発生して、日本に伝染したことになります
科学の進んだ現代でも、病気は未知の世界だ。
そう簡単に流行を阻止できない事は、2010年の宮崎の口蹄疫の事でも証明されている。
邪馬台国に卑弥呼が登場するのは、3世紀頃といわれている。
古代日本では歴史書に書かれているインフルエンザの流行が、おおきな役割を果たしていたのではないか。
国が乱れている場合、戦闘能力の高い男性がリーダーになるのが必然のような気がする。
しかし、現実には女性がトップに立っている。
男達の武力だけでは防ぎきれないものといえば、天変地異と疫病の蔓延である。
卑弥呼は疫病の蔓延を押さえる方法を知っていたと仮定すれば、トップに立っても不思議ではない。
古代のウィルス流行を解明すれば 日本の歴史がある程度判明するのではないかと 強く考えた。