火焔型土器とサヴァン症候群の目
縄文土器の中で、一番すごいと思う土器は火焔土器である。
火焔土器(かえんどき)
火焔土器は縄文時代中期を代表する縄文土器の一種で、燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す通称名。火焔型土器とも呼ばれる。
本来は馬高遺跡(新潟県長岡市)から発掘されたので、研究においては、「馬高式」と呼ぶようだ。
この火焔土器の不思議さはその装飾性と、この形が突然創造されたという事である。
東日本全体では200以上の遺跡で出土しており、主に信濃川中流域に集中している。
一口に火焔土器といっても、色々バリエーションがあるようで、同じ遺跡から火焔型土器と王冠型土器が出たりしている。
火焔土器は火の器か
この土器の愛称は、火焔土器である。
発見した人はこの装飾を燃え盛る火と見たのであろう。
確かにそうも見える。
私も最初、石油か何かを燃やした物かと思っていたのだが、どうもしっくりこなかった。
それは、胴部の粘土紐の装飾である。S字状、渦巻状が火焔とはどうも結びつかないのだ。
そして王冠型土器も火焔土器の流れに入るとしたら、同じテーマを持っているはずである。
王冠型土器には火焔土器ほどの激しさはないが、やはり4つの持ち手みたいな部分は同じである。
そして線状とS字の文様も同じである。
これは何をデザイン、抽象化したのかが謎になっている。
信濃川
発掘されたのは信濃川西岸の丘陵上である。
ここでは土偶、耳飾、石棒、ヒスイ製玉類などの各種の祭祀にかかわる遺物もたくさん出土しているので、けっこう大きな集団が定住していたのであろう。
生活のためには水は不可欠なので、川筋がある地域が最適である。これは現代でも同じである。
山に近い丘を住居と定めたとして、原始的な宗教、つまりアニミズムの自然崇拝があったのだ。今のように神殿も偶像も当然ないだろう。
宗像神社の沖ノ島のように、岩陰や大きな木のそばなどが祭祀の場所だったと思える。
私はカメラを持って山にも行く。
ただし、登山をして写真を撮る山岳カメラマンではない。山登りが苦手なのだ。なので車でいけるところは行く軟弱カメラマンである。
山には信仰がある。巨岩がその対象であるところも多い。それ以外にも信仰の対象がある。それは滝である。
川のある山には滝が多い。
滝には現代人も不思議な神性を感じるのだろう。信濃川付近には、観光地になるような大きな滝もおおい。
自然循環型の山の民、縄文人としても、滝を見た時そこに神の存在を感じたに違いない。
最初火焔型土器を見た時、まさにネーミング通り、火が燃え盛る器に見えた。
しかし、胴体部分や細部を見れば、太い筋で装飾されているので、この部分は火には見えない。
そして、いろんな火焔型土器に共通しているのは鋸状のふち飾りだ。
これは、水が落ちた時に出来る冠のような飛沫だ。
炎と見える部分も飛沫の表現ではないか。
もしかすると、上から落ちてくる水を表現したものではないだろうか。
写真 http://blitzdings.info/type/image/
縄文土器全般に言えるのだが、土器の作りは綿密で、独創性にあふれている。
今回の火焔土器も、見るものを釘付けにしてしまう表現である。
その時ふと閃くものがあった。
サヴァン症候群
これはもしかしたらサヴァン症候群の人が作ったものではないかという事である。
サヴァン症候群とは、知的障害や発達障害などのある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状を指す。
例えば、一度みた風景を後日詳細に思い出すことが出来るという特殊能力である。
有名な人に画家の山下清が挙げられる。
山下清はよく旅に出るのだが、旅先で絵は書かない。自宅に戻って、見た光景を細部にわたって思い出すことが出来るからである。
そして葛飾北斎もサヴァン症候群の人だったと言われている。
この絵は北斎の名作中の名作である。
今の私達の感覚からすれば、想像で書かれた個性的な絵だと賛美する。
だがハイスピードカメラで撮影された波の写真に北斎の絵とそっくりな映像があった。
どうだろうか。
今まで北斎の想像の産物だった波の絵だが、実は北斎の目に写った現実の風景を書き写したものだった可能性がある。
上記の写真は高速シャッターで撮影された飛沫の瞬間である。
普通の人の目には、動きとして捉えられるだけなのだが、瞬間的な映像記憶を持つサヴァン症候群の縄文人が見た場合、あの火焔土器の形状は現実の映像を参考にして、水の器を作ったのではないだろうか。
また、滝の流れも、スローシャッターで撮影すると、まるで筋のように見える。
写真は瞬間を捉えたり、長い時間を1枚に撮るという技が可能である。
これは機械だからなのだが、サヴァン症候群の人たちの特殊な能力のことを考えれば、想像したのではなく、そういう風に実際に見えたのではないかと思うのである。
ネーミングの落とし穴
火は神性をもつ。
しかし、水、特に滝はごうごうと音を立て落ち続け、時代を経れば、竜神として存在し続けている。
縄文の水の精霊の場所として、滝ほど最適なものはない。
滝だと考えれば、火焔土器の直線も渦巻きも納得できる。
これまでも縄文の製作物を考えてきた。土器や土偶の造詣も素晴らしいがそのネーミングもインパクトがあった。
遮光器土偶、縄文の女神、火焔土器
素晴らしいネーミングである。しかし、そのインパクトのあるネーミングで、皆迷路に入ってしまった感がある。
今回の火焔土器も火といわれればそうゆう風に見えるが、カメラを通して見つめれば、違う見え方も見えるのだ。
縄文の民も、現代人の私たちも基本的には感性は同じだと思う。渓流の奥にある、神秘の滝はいまでも別世界を感じるのだ。
そこの所は重要だと思う。
火焔土器も遮光器土偶も、川の近くに住む集団だった。
だから、信仰も川にかかわりのあるものだったと理解できる。
下から燃え上がる炎ではなく、上から落ちてくる滝の水と、その飛沫をみて、火焔土器を作ったのだ。
入れ物の部分は、おそらく滝つぼを表現したものだと思う。そして、その神なる水をこの器で汲んだのであろう。
現代でも神様に供えるのは、水と塩と米である。
仏壇に供えるお茶や水の容器に、ビールジョッキや漫画の付いたコップは普段使わないはずである。
縄文人も同じ感覚を持っていたのだ。
火焔土器の形状は、ただの水ではなく、川の上流の聖なる滝から汲んできたものを示す事として、あのような芸術的な水の装飾を施したのだ。
命に必要なものは、昔から同じだったのだ。
新潟県域の特に信濃川中流域に集中する傾向があり、長岡市馬高遺跡、十日町市笹山遺跡、野首遺跡などで特に多く出土している。
長岡市馬高遺跡の近くには黒川がある。十日町市笹山遺跡、野首遺跡のそばには信濃川。
川があれば、必ず滝がある。
私には、神聖な場所に滝の水を汲んだ器とヒスイや食べ物をそなえて、変わらない平和を祈る民が見える。
まさに縄文の心である。
類似するアートワークスの文章
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