奴隷になる事を断固として拒否した日本
従軍慰安婦と言われる問題が有ると、韓国は盛んに日本を攻め立てている。
私の見解は、これらはすべて捏造で韓国の政治的反日運動のなせる事だと思う。
この慰安婦の事を英語でsex slave(セックススレーブ)と訳して世界中に韓国人と日本の反日組織が宣伝している。
このことに関して怒りしか湧いてこないのだが、sex slave(セックススレーブ)、つまり性奴隷という表現が違和感があり、この文を書くことにした。
日本人には奴隷という言葉がピンとこない。
奴隷的な扱いというのは表現に出てくるが、奴隷という存在が近世の日本に見当たらないからである。
花街の遊女や街角の売春婦が、「性奴隷と言う」といえば反論はない。ただ今回性奴隷という表現が、強制的に有無を言わさず連れてきて、奴隷として使役していたというニュアンスが強いので、花街の遊女は話からの除いていることは記す。
慰安婦とは職業売春婦の事である。娼婦とも言う。
娼婦は英語でProstitute(プロスティテュート)と言う。
韓国人が言うsex slave(セックススレーブ)と、一般的なProstitute(プロスティテュート)では全くニュアンスが違う。
韓国人が慰安婦をsex slave(セックススレーブ)というひどい表現で表したのは、当然日本を貶める為に使ったと思うが、逆に性奴隷という制度が韓国にあった事実に根ざすものだったとも言える。
奴隷制度
奴隷制度は世界中に有り、戦争で負けた人民を奴隷にしたり、罪人を奴隷にしたりと様々である。
また奴隷の定義も様々で、どの程度の束縛をされたかは各国や時代によって様々である。
日本も当然奴隷制度が有り、古代の記述にも有る。
卑弥呼が亡くなったとき100人以上の奴婢を殉葬したと言う記述や、生口と呼ばれる奴隷を魏に朝貢したと言う記述が見られるように、少なくとも邪馬台国の時代には既に存在していた。ウィキペディア
男の奴隷を奴、女の奴隷を婢という。日本の奴隷制度は隋・唐の律令制をアレンジしたものであり、犯罪の刑罰だったり、経済的困窮者が奴隷という身分に落とされている。
しかし、律令制度の崩壊とともに、制度は10世紀初めの延喜年間(901‐923)に廃止された。
だが、全てなくなったわけではなく、江戸時代でも身売りや遊女は存在していて、現在まで社会の中の闇として存在し続けることは否定できない。
韓国の奴隷
朝鮮における奴婢の歴史は、中国の征服者・箕子が興した箕子朝鮮の時代より始まるとされる。
当然内容は中国とよく似ている。
ただ特徴的なものは、戦争による奴隷の誕生である。
百済滅亡時には百済の民はいずれも奴婢とされたという。これが全羅道差別の根源であり、韓国の地域対立が生まれたとも言われる。ウィキペディア
興味深いのは、日本が朝鮮半島の奴隷制度の開放に関わっていることである。
例えば、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、朝鮮の奴婢が反乱を起こして、役所に火を放ち戸籍を燃やしてしまい、それによって賤民を脱した者もいたという。
また、朝鮮半島で実質的な奴隷制度が初めてなくなったのは、日韓併合の前年1909年である。
身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された。ウィキペディア
差別社会が激しい朝鮮半島は、日本人の感覚とかけ離れている実態があった。
1980年にソウルで発行された本には「奴婢の制度は支配階級のひどい虐待のもとで、ごく最近まで続いた。1920年代においても朝鮮の家庭ではほとんど例外なく、聴直・床奴・上直・住込み女中などという奴婢を置いていた。」と記されている。ウィキペディア
奴隷の写真
(このページに有る内容と写真はかなりショッキングだ)
http://sound.jp/sodaigomi/dorei/kankoku/tamesihara.htm
朝鮮の差別意識は、儒教の誤解釈がベースになっており、身分制度は上から、王族、両班(ヤンバンいわゆる官僚)、平民(中人、常人)、賎民(奴隷、白了)と4段階になっている。
朝鮮儒教では、労働を軽蔑しており、そのせいで差別制度は必要だったとも言われている。
日本においても制度としての身分制度は有り、士農工商はよく知られていが、現在の研究では、厳密な身分制度ということではないとわかっている。ただ武士は支配者階級だった事は間違いない。
ただこの武士社会のほうが上下の区別はひどく、下級武士たちが明治維新を牽引したことは歴史的事実である。
日本にも奴隷的な差別は存在していたが、それを解消する自浄作用が常に存在していた事も知っておきたい。それは日本人の持っている「誇り、プライド」が性根に根付いているせいだと思う。
朝鮮の奴隷は、日本と比較するとかなり過酷だったことは事実である。
また、現在韓国の売春は世界的に見ても目に余るものであり、毎年、外国で売買春で逮捕される韓国人が数百人に達していることも事実である。
これらの事を考えれば、朝日新聞の戦時中の慰安婦強制連行の捏造報道に、日本反日左翼と韓国が、すぐさま飛びついた理由がよく分かる。
そして、それらを性奴隷と表現するのも、自国のやってきた事をなぞるようで、自然と出てきたのだろう。
奴隷制度と戦う日本
日本に奴隷制度がなかったとは言わないし、悲しい差別の歴史があったことも事実である。
人間の社会である。差別のない社会は理想なのだが、それを完全に無くすことは不可能である。
ただ、世界と比べて、日本は奴隷制度に対して嫌悪感が有り、あからさまな奴隷制度、差別制度が日本人に馴染まなかったことは事実と言ってもいい。
それは、日本が単一民族であり、島国であったことも大きいと思われる。
さらにアジア大陸や西洋のように、民族間の戦いがなく国を滅ぼすような過酷な戦争がなかったからだと思われる。
そんな日本は世界の動きの中で様々な対抗策を立てている。
具体的に言えば、やはりヨーロッパの植民地政策の波である。
大航海時代といえば、なにか勇ましくて新時代のような響きだが、簡単に言えば、略奪を目的とした進軍である。
先鞭を切ったスペインの非道さは世界の歴史を変えるほどの内容を持つ。
そしてその波がアジアに届き、日本にもその脅威が現実のものになったのは日本の戦国時代である。
フランシスコ・ザビエルがスペインの船でやってきたのは1549年である。
宣教師たちはキリスト教の布教だが、その来日は紐付きで、その後スペイン軍が日本を植民地にする手はずだった。
現にインドや東南アジアは、片っ端から植民地にされ、悲惨な目にあっている。
欧米植民地の残虐さ
http://kenjya.org/ajia1.html より抜粋させていただきました
- インドネシア人は、家畜よりひどい存在として扱われていた。
- 粗相をした2人の女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、さらに裂けた傷口や局部にトウガラシ粉をすりこんで、木の杭に縛りつけて見せしめにした。
- 米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わって植民地にした。話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告している。《高山正之 週刊新潮2006/4/20》
- イギリス政府は木綿を作りにくくするために、木綿の作り手たちを何万人も集めて、その手首を切り落とした!(インド)
- インドの木綿工はそのまま仕事がなくなって、餓死してしまった。ベンガルからインド洋まで、何百万人という白骨が並んだと伝えられている。《福田和也 魂の昭和史」》
- 岡倉天心…「ヨーロッパの繁栄はアジアの屈辱である」 屈辱的に人員を供出させられたり、資源を買いたたかれたりして、欧州の繁栄を下支えしているアジアの現実がある。
- オランダのインドネシアに行った植民地政策は、愚民政策・貧民政策だった。そのため貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、35才にまで低下したといわれる。《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史〈2〉」》(他著書「通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか」)
- 英国 600万人いたアボリジニは、今30万人が生き残る。ナチスのホロコーストを凌ぐ大虐殺を行った結果だ。(50万人が住むタスマニア島では、その殆どが崖から突き落とされ、銃で撃たれて殺された)《高山正之 週刊新潮2005/12/29》
- 別の曜日には彼らはアボリジニの女を犯した。そして妊娠すると豪州政府が出てきて母と子を引き離し、子供だけを白人世界に引き取る。いわゆる融離政策というものだ。《高山正之 週刊新潮2008/9/25》
- 植民地時代の、まだ電気による扇風機のない時代のイギリス人は、寝室の天上に取り付けた巨大な団扇を室外から紐を引いて作動させるようにして、原住民の少年に終夜団扇を動かさせたという。
- シンガポールでは、イギリス人の女性は夜になると涼をとるために、人力車を雇い現地人に何時間でも引かせた。《三浦朱門 「日本の正論 」》
- 植民地の反乱を宗主国は武力で鎮圧した。フランスは、サイゴンでは容疑者は裁判なしでギロチンにかけた。一方で阿片を売り、10歳以上の子供をホンゲイ炭鉱で働かせて人頭税を徴収した。《高山正之「歪曲報道 巨大メディアの『騙しの手口』」》
- フランスは都市の数ほど監獄をつくり、それでも足りないからとサイゴン南の島コンダオに4つの監獄と拷問棟「虎の檻」を建てた。ここには屋根がなく、鉄格子越しに生石灰と水を素っ裸の囚人の上に撒いた。囚人はやけどを負い、さらに熱帯の太陽に焙られた。《週刊新潮2009/1/29》
- 沖縄戦でアメリカ軍は黒人を先頭に立てた。イギリスはネパールのグルカ兵を使った。他の連合軍も植民地の人たちを防壁に使った。《野田明美 諸君!2007/10月号》
- フランス人がカンボジアを支配する時に、徴税吏や検察官としてベトナム人を雇ったためである。カンボジア人が税金を収めない時に、裸にしてムチ打ちにしたり、手を縛って連行したのはみなベトナム人だった。フランス人は雲の上にいるから、後ろで糸を引いているのが目には見えない。《三宅久之「『日本の問題点』をずばり読み解く」》
- 「アメリカは、アジアにおける唯一の植民地フィリピンを徹底的に弾圧しました。アメリカの国旗に頭を下げない人々は皆グアム島に送られたんですよ。グアム島の人口の30%がフィリピン系である理由にはこうした歴史的背景があります」
- アメリカ…奴隷の売買をしたり、買ってきた奴隷と白人とを結ばせ、子供を産ませて大儲けしたりしていた。(奴隷牧場)
日本もそうなるはずだったのだが、幸運にも日本には戦国の雄が日本を統一し、軍事大国となっていた。
そのせいで、日本だけ植民地になることを免れた。
その後おこった大東亜戦争も、西洋の植民地政策に対抗した、捨て身の戦争といってもいいだろう。
死んでも奴隷にならない。
その思いが戦いを引き起こしてしまった。
結果は敗戦だったが、アジアの独立と奴隷解放に大いに役立ったことは、事実が物語っている。
SEX SLAVE(セックススレーブ)
慰安婦強制連行は当然誤報というか捏造であることは、当の朝日新聞の陳謝で白日のもとにされている。
ただ、慰安婦という言葉に従軍という言葉をつけて、更にSEX SLAVE(セックススレーブ)という英訳で、韓国と日本の左翼が、世界に拡散し続けているのは、日本人の私とすれば悔しい限りである。
そして、性奴隷という表現が特に癇に障っているのである。
奴隷とは人間性の否定である。
しかし、世界中の強国は、さも当然のごとく奴隷制度を正当化してきた。
日本は、その非人間的な感覚に対抗し続けてきた民族である。
日本建国の時代に唐や随の制度を真似たため、制度として奴隷を認めていた。
しかし、その律令制度が崩壊し、制度としての奴隷をなくしてきたのだ。
もちろん、その後も奴隷的な扱いを受けている人たちの存在はあったし、人身売買の悲しい歴史は、闇として存在し続けていることは認めなければならない。
だが、世界から見れば、悲惨な歴史が少ない日本であることは間違いない。
その特殊性を大切にして、これからも断固として奴隷というものを否定し続ければならないと思う。