顔のない地蔵達 仏と神
長崎市内にある稲佐外人墓地の傍に、六地蔵がある。
私はこのあたりに実家があるので、正月の時間つぶしの散歩で、悟真寺というお寺の近くの六地蔵の地蔵たちをじっくり見る。

六地蔵
並んでいるお地蔵さん達には顔がない。
これは、意図的に壊されたものだ。

六地蔵
その後、この地域の人達がセメントで顔を作り直したと思われる。
作り直した顔の部分は、簡単すぎて逆に愛嬌がある。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
6世紀頃入ってきた仏教は、日本に定着したが、その後もいろんな諍いが起こっている。
詳しく言えば、蘇我氏と物部氏の権力争いから仏と神の対立があったのだが、まあ、日本人は神様も仏様も同じ尊いものとして対処してきた経緯がある。
神仏習合(しんぶつしゅうごう)である。有名な言葉に本地垂迹というものがある。
仏菩薩が衆生を救済するために、仮に神の姿として現れたものとする説の事をいう。
有名な八幡神はその代表的な神様である。八幡神というように神様なんだけど、一般的な呼び名は八幡大菩薩という、菩薩様である。
政治的な背景のない民衆の間では、それでよかったのだ。
しかし時折、この混沌とした世界観を批判するように、仏を排除する運動が起きる。
長崎の場合は特殊で、キリシタンの街であったので、キリスト教に対する、神道、仏教はまとめて敵対視されている。このため、かなりの大きい寺院は焼き討ちにあっている。
一般的に言えば、江戸時代前期、一部の藩は神仏習合を廃して神仏分離を唱える動きが高まり、仏教と神道を分離し、仏教寺院を削減するなどの抑制政策を採ったとある。
あの水戸黄門の光圀さんも神仏分離、神道尊重、仏教軽視である。
明治になると、天皇に神格を与え、神道を国教と定めるという大教宣布の詔(たいきょうせんぷのみことのり)がだされ、民衆が仏教施設の破壊を行ったとある。

稲佐国際墓地
稲佐の国際墓地の六地蔵はこの時に壊されたのではないかと想像できる。
田舎へ行くと顔のない地蔵を時々見かける。

地蔵
そして壊された地蔵の顔を修復している地蔵も多く見かける。
壊した方も、直した方も同じ地域の人たちだろう。
その愚直さも哀しいような思いに駆られてくる。