韓という文字の本当の意味

鹿児島県霧島市に行った。その時地図で韓国岳(からくにだけ)という名称を見た時、韓国(かんこく)となにか関係があるのかなと思った。

韓国岳

調べてみると

江戸時代以前は山頂付近の登山道が険しく難路であり登山者が殆どいなかったこと、あるいは山頂付近に草木が乏しいことから空虚の地すなわち空国(むなくに、からくに)あるいは虚国(からくに)と呼ばれるようになったという説がある。

また補足で

「山頂からは韓の国(朝鮮半島)まで見渡すことができるほど高い山なので「韓国の見岳(からくにのみたけ)」と呼ばれた」との説もあるが、実際には山頂からは朝鮮半島を見ることはできない。ウィキペディア

とある。

沖縄県石垣市に「カラ岳」とよばれる山があるが、山肌は木が生えておらず、全面が草地で覆われている形状で、空っぽの山という解説の応援になっていると思う。

八重山諸島石垣島 カラ岳

韓国(からくに)

霧島は天孫降臨の地であり、瓊々杵命を祀った神社もある。この天孫降臨の一説に韓国(からくに)という文字が出てくる。

邇邇藝命は「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である」と言って、そこに宮殿を建てて住むことにした。

「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』

日本書紀では「膂宍(ソシシ)の空国(むなくに)」と書いている。

到於日向襲之高千穗?日二上峯天浮橋、而立於浮渚在之平地、膂宍空国、自頓丘覓国行去、到於吾田長屋笠狹之御碕。『日本書紀』

膂宍(ソシシ)とは、背中には肉は少ないところから、肥沃でない土地の事をいう。

この場合は、何もない国と捉えてもいいと思う。

古事記と日本書紀で2つを並べれば、韓国(からくに)と空国(ムナクニ)が同じ意味ととってよいと思う。

天孫降臨というスタート場面で、なぜ「空(韓)国」の名前を出したかということがポイントである。

霧島は高い山であるが外国は見えない。霧島から見えるのは、宮崎、鹿児島の地である。

となれば、「空(韓)国」とは、宮崎、鹿児島という事になる。

素直に読めば、高天原から降りた場所は、周りが空っぽの国ばかりで、治めやすい地だという事になる。

もし降り立った地のまわりが、他の国だらけだったら、それこそ治めにくいに違いない。

つまり韓国、空国とは、大和族が治めていないカラの土地という事である。

そう考えれば霧島の韓国岳(からくにだけ)は、古事記、日本書紀の文章を読んで、忖度して山の名前を韓国岳としたようである。つまり霧島を聖地というイメージを作りたかっただけのような気がする。

古事記の「韓国」の意味に朝鮮半島の「韓国」を持ってくるから、話はややこしくなってくるのだ。

朝鮮半島の「韓国」はここでは関係ないのだ。

大韓民国は昭和の時代に出来た国で、この古代日本では影も形もない。

しかし韓と書けば韓国。この文字だけでイラッと来る方も多いと思う(笑)。

この韓という文字は現在の韓国だけを指しているのではない。

韓(読み)かん(英語表記)Han

もともとは、「井戸を囲む柵」という意味だ。韓という文字をもう一度調べてみたい。

三韓(さんかん)

韓の字が大韓民国に付けられた由来は、三韓と呼ばれる時代がありそこからとったという。

それまでは朝鮮と言っていたが、戦後の冷戦で南朝鮮が独立する際、大韓民国という名称をつけたのだ。

本当は朝鮮の名前を使いたかったのだが、北朝鮮が朝鮮民主主義人民共和国という名前にしたので、朝鮮という文字を使えなかったのだ。

国名を決める際のエピソードがある。

国号候補として「大韓民国」、「高麗共和国」、「朝鮮共和国」、「韓国」の4つが挙げられた。

委員会が国号を決定しかねていたある日、臨時政府側の池青天(チ・チョンチョン)将軍(光復軍司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、「国号は『大韓民国』、年号は『檀紀』に即決せよ、さもないと割腹自殺する。」と頑張るハプニングがあったという。ウィキペディア

いかにも韓国らしいと思う。

朝鮮半島に韓の字が使われたのは、南朝鮮に存在していた三韓時代だけである。

三韓時代(馬韓・弁韓・辰韓)は4世紀である。その頃の中国は漢王朝だった。

三韓は、1世紀から5世紀にかけての朝鮮半島南部に存在した種族とその地域をいうが、名前の下の文字が同じ韓というだけで、その3つの国は言語や風俗がそれぞれ異なっていた。

これはおかしい。

国の名前が団子3兄弟のように下の文字が全て韓である。

それなのに3つの国の言葉や風俗は違っていたという。

という事は、民族ではなく、南朝鮮地域を「韓」と呼んでいたという事になる。

三韓

馬韓・弁韓・辰韓とは

三韓は馬韓・弁韓・辰韓の3つである。

馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行っていた。集落に城郭は無く、五十余国が存在したという。
つまり、馬韓人が作った小国の集合体が馬韓なのだ。

その後に出来る百済国の元になってたといわれているが、穀物を植え、養蚕を行っていることを思えば、倭人たちとよく似ているといえる。

特に養蚕は中国から始まり、技術的にも難しいとされている技術である。日本へは弥生時代に伝わったとされているが、紀元前200年頃の福岡県の有田遺跡から出土された平絹は、その当時の中国の絹織物とは織り方が異なることから日本列島特有の絹織物が既にあったと考えられている。

辰韓は古の辰国である。「秦韓」とも書かれ、秦からの移民ともいわれる。12カ国に分かれていた。辰王は馬韓人だったという。
古の辰国だが、極めて資料が乏しくわからないことが多い。
『後漢書』では「韓有三種,一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁韓(略)凡七十八国(略)皆古之辰国也」とあり、三韓の地すべてが昔の辰国であるとしている。

日本の渡来系家系に「秦」一族がある。一説によるとこの「秦韓」からの移住だとも言われている。

「辰国」の王は馬韓人というので、倭人か倭人同等の人たちの支配下にあったと捉えてもいいと思う。

弁韓は12カ国に分かれていてそれぞれ王がいたとある。この国が後の伽耶(かや)である。
伽耶(かや)は加羅(から)とも書き、3世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の中南部において、洛東江流域を中心として散在していた小国家群を指す。任那日本府があったと記録されている。

この3つの国の風俗は、倭人と似ており、男女とも入れ墨をして礼儀がよく、道ですれ違うとすすんで相手に道を譲ったとある。

邪馬台国にも入れ墨を入れている人々がいると書かれているので、礼儀正しい点とからめて、倭人の可能性が相当高い。

ここまで書くと、この三韓は倭人の国という事がはっきりわかる。

三韓の名前

倭人で構成されていた南朝鮮地域を、倭人は空(韓)の国と呼んだのだ。

三韓の地域ごとに王様がいたわけではなく、馬韓地域には五十余国、辰韓地域には12カ国、弁韓は12カ国に分かれている。

総数70から80の集団がひしめき合っていたが、後に百済、新羅、高句麗という国になったのである。

つまり、韓という名を国名につけたのは不明だが、後になってそう呼んだのだろう。

ここで一番説得力があるのは、倭人たちが「韓(から)」という名を自称していたという説である。

「韓(から)」という文字は日本にしてみれば、空白だった場所ということなので、古代この南朝鮮は空白地帯であり、そこに倭人と倭人たちが支配する人々が、その風俗ごとに棲み分けたと推測されるのだ。

ハプログループ

倭人は縄文時代から南朝鮮で暮らしていた。

それは、ミトコンドリアのハプログループでも証明されている。

08-1.ミトコンドリアDNAから見た日本人の祖先

引用 08-1.ミトコンドリアDNAから見た日本人の祖先

日本人の4割を示すDグループは、中国東北地方、朝鮮半島にも日本と同じように分布している。

母系のルーツを辿ることができるミトコンドリアDNAハプログループは、「東南アジアの少数民族から日本列島に位置する琉球弧人やアイヌまでが共通の因子を持つ」とある。

このハプログループは難しく、私自身が勉強中なのである程度のコピペで記述している。

ただはっきり言えることは、縄文人はアジア大陸に広く分布しており、特に朝鮮半島と東北アジア、日本本土には集中していたということである。

アジアに広がった縄文人とその地域の混血集団が、後に日本に集結し、弥生人と呼ばれる集団だったと推測すれば、日本人の成り立ちにかんして無理がないと思う。

母親は違うが、父親は縄文人である混血集団が倭人なのだ。

カラの国

朝鮮半島は、倭人の住むカラの国であり、それを中国王朝が「韓」と呼んだのだ。

日本では、カラは空白地帯や外国などを指す言葉で、日本の漢字で言えば、唐・漢・韓などであり、全てカラと読める。日本語の空・殻・腔は中になにもない物を指す漢字である。

また朝鮮半島には伽耶(かや)という国もあった。これは加羅(から)ともいい、「カラ」が外国という意味の証でもある。

韓という字を使って朝鮮半島南部の国を呼んだのは、三韓時代の後に出来た百済などの国が、中国に貢物をしたため、冊封国(中国王朝を宗主国とした従属国)扱いで韓という文字を使ったと推測する。

ただ、韓という文字を使う時、倭人たちが呼んでいる「カラ」という言葉を当然参考にしたのだろう。

朝鮮半島には朝鮮人たちが住んでいる。

しかし、それはかなり新しい事である。

朝鮮半島の歴史を知れば、様々なアジア系の民族が入り乱れていることはすぐわかる。

ところが朝鮮人は大韓民国の国名を決める時、三韓時代を思い付けたというが、実は三韓は倭人の国であった。

歴史的事実や前方後円墳の遺跡、ハプログループを知れば論理的にその事が正しいと推理できるのである。

しかし、そんな論争など韓国人は全く受け付けないことはよくわかっているので、この話はここで終わりにする。

韓という文字の本当の意味” に対して3件のコメントがあります。

  1. より:

    大韓民国以前の「韓」を持つ国号として、日本支配直前の大韓帝国があります。大韓民国の名前由来は大韓帝国だと思います。でもまあ大韓帝国の「韓」も元を辿れば倭人の言葉でしょうね

  2. ありこ より:

    石器時代から約五千年朝鮮半島には人間はいなかったことが分かっています。縄文時代に入って縄文人が朝鮮半島に住みつきました。縄文人は北は樺太から南は琉球まで、西は朝鮮半島の付け根ぐらいまで住んでいたようです。その後、大陸から人が入ってきて縄文人は南へと押しやられました。BC1世紀ぐらいで平壌からソウルあたりが北限のようです。
    三韓とは現在の韓国の韓とは関係がありません。シナ人がつけた名前ですので韓は空っぽという意味で使われています。大和朝廷の三韓征伐で大和朝廷の支配が及びますがそれ以前は、狗奴国や邪馬台国などの大和朝廷以外の倭国の国と関係を持っていたのです。みんな縄文語をベースに話をしていたのです。縄文次期時もありました、前方後円墳もありました、古代の骨も形態は縄文人とそっくりでした。遺伝子にもその存在が確認されました。
    その時代には、朝鮮人はまだ地球上にうまれていませんので朝鮮語も存在しません。文大統領のいう半万年の歴史はファンタジーです。おそらく、朝鮮人が生まれて1000年ぐらいの歴史しかないものと思います。2000年は超えないと推測しています。この辺は、言語の研究、遺伝子の研究などから明確になると期待しています。

  3. artworks より:

    コメントありがとう御座います。韓に関しては今後の研究を期待しています。

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