高野山と伊勢神宮
二泊三日の旅だった。
最初の日には高野山へ。
空海
この偉大なる傑物の集大成をこの眼で確認したかった。
勝手なイメージで、大きなお寺が一つあるのかなと思ったいたが、実際の高野山は一つの町だった。
一つ一つのお寺が個性的で、美しい。
いろいろ感じ入った時間を過ごした。 考え、感じることが多すぎ、まとめるには少し時間がかかるだろう。
フリーフォト 高野山
http://freephoto.artworks-inter.net/2015kouyaise/kouyasan/index.html
次の日は三重県伊勢市に移動した。
伊勢神宮である。
ご存知のとおり、神道の頂点にある神社である。
大勢の人が参拝におとづれていた。 入り口に大きな鳥居がある。
老若男女、誰もがお辞儀をしてくぐりぬける。 全ての人が、お辞儀をする。
日本人なら当たり前と考える。
それほど、この神社は偉大なのである。
この二つは日本人の心の聖地である。
高野山と伊勢神宮の共通点は巨木である。
神道の徹底した清らかさと仏教のパワー
この巨木に圧倒されてしまう。
フリーフォト 伊勢神宮
http://freephoto.artworks-inter.net/2015kouyaise/ise/index.html
似ているけど違う。違うけど似てる。
日本人はこの二つの精神性を、何の違和感もなく 生活に組み入れている。
世界に類を見ない民族である。
政治的な思惑もあり、ある時期から神道と仏教は同居していた。
それでも日本人は大きな混乱はなかった。
結局、日本人にとってどちらでもよかったのだ。
イスラム教やキリスト教のような一神教の国の人とは違うのである。
いい加減といえばいい加減だ。
なぜ日本人はいい加減なんだろう?
デタラメのいい加減ではなく ちょうどいい塩梅の良い加減なのだ。
血で血を洗うような二者択一はしないのだ。
神の中に仏の慈悲を見つけ、仏の中に神の威厳を感じる。
独特の感性だ。
そして、その感性は私の中にもしっかり根付いている事を確認した。