金比羅山 謎の天孫降臨伝説を追え(1)
だいぶ前から気になっていたのだが、長崎市内の金比羅山には天孫降臨の伝説があるらしい。
その出所は下記の本である。
長崎市のほぼ中央にそびえる標高三三六メートルの金比羅山は、瓊杵山(にぎやま)、崇嶽(たかだけ)などの古名がある。 瓊杵山というのは天孫瓊々杵尊が遊行されたという伝説によるものである。 長崎おもしろ草II 『史談切り抜き帳』丹羽漢吉 著
(現在も神社の前に立てられている)
天孫降臨とは、日本神話において、天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の命を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。 ウィキペディアより
とある。
天孫降臨は皆さんがよく知っている話しである。
天孫降臨の話しも謎だらけなのだが、それよりも長崎にあったという方がもっと謎である。
古書には「日向の高千穂の峰」に降りたと記されている。
これは万人が知るところで有り、くつがえらない。
正論からいくと、長崎の天孫降臨伝説はでたらめだという事になる。
しかし、興味がある。
そして、気になるところもあるのだ。 だからこの謎を追う事にした。
気になる点その一 瓊々杵尊の名前
邇邇藝命(ににぎのみこと)は瓊々杵尊とも書く。
まずは難しい漢字の「邇」 読みは音読みで「ジ」「ニ」 訓読みは「ちか」「かし」というとある。 意味は「近い」という。
長崎人に馴染みのある「瓊」 [音]ケイ(漢) [訓]たま に とある。
意味は 1.たま。「瓊玉」 2.玉のように美しい。「瓊筵(けいえん)・瓊姿」 [難読]瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) 3.玉。特に、赤く美しい玉。
とある。
この瓊々杵尊の「瓊」というのが引っかかるのだ。
長崎の古い呼名は瓊ノ浦(たまのうら)という。
「美しい玉(宝石)のように光り輝く海、港」という意味から付けられたという。
この古名から「瓊浦(けいほ)高等学校」がある。
金比羅山を瓊杵山(にぎやま)と呼び、港は瓊ノ浦(たまのうら)という。
瓊々杵尊の「瓊」が、地名として残っているのが長崎なのである。
「えっ、これだけ?」と思うかも知れないが、これだけでも謎なのだ。
なにせ、長崎は約1600年にやっと開港をして、日本の歴史に登場するからである。
天孫降臨という、日本の歴史の重要な幕開けの時代の話しがあるという事が謎である。
実はそれ以外にも、長崎には古代史に絡む地名や伝説があったのだ。
金比羅山(撮影アートワークス)