人間の言葉は何故違っているのか

旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔の話がある。バベルの塔である。

ヘンドリック・ヴァン・クレーヴ 「バベルの塔」

みんなが力を合わせて天に届く塔を建設しようとしたが、その傲慢さが神の怒りに触れた。

神は降臨してこの塔を見「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」と言った。このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった。ウィキペディア

こんな話である。

少年時代、この話を知りミョーに納得したのだった。

なぜなら、世界中の人達が何故違う言語を使っているのが不思議だったのだが、この話で納得したからだ。(子供時代は単純だったので)

しかしこの話は物語である。

それでは何故地球上の言語が地域ごとに違うのか考えてみたい。


言語の数

現在世界に存在する言語の数は千数百とも数千とも言われる。1939年にアメリカのL・H・グレイは2796言語と唱え、1979年にドイツのマイヤーが4200から5600言語と唱えており、三省堂の言語学大辞典・世界言語編では8000超の言語を扱っている。しかし、正確に数えることはほぼ不可能である。
ウィキペディア

なぜ言語の数を確定できないかというと、まず「未発見の言語や、消滅しつつある言語がある」という事である。

さらに似ているが同じではない「言語」が隣り合って存在しているときがある。一つの言語なのか方言なのか判断することが困難だからだ。

例とすれば英語があり「イギリス英語」、「アメリカ英語」などがそれに当たる。

その逆もあり、中国の場合13億人が中国語を話すとされているが、地域差が激しい。

共通語である普通話を含め, 13個の方言が存在すると言われているが、学術的には同系統の言語ではあり、書き言葉は共通であるためこれら言語はすべて中国語内の方言として扱われているという。

しかし分類に関しては現在でも様々であり、言葉の数を考えてもしょうがないようで様々な意見がある。

ここで言いたいのは言語の数がやたら多いという事なのである。

言語の起源は科学の最難問

1866年に、パリ言語学協会は「言語の起源」という主題を禁止するまでに至った。

フランス

それはあまりにも不確定要素が多く、仮説の乱立で真剣な研究の対象にそぐわないものとされて、この禁止令は西洋世界の大部分を通じて影響力を保っているらしい。

そうかもしれないと思う。

ホモ・サピエンスがいつ言葉を持ち、話したかなどという事を調べて確定することなど不可能だからである。

しかし、1990年代初頭以降、「科学の最難問」を考え始めるのに新しい方法でとりくむ言語学者、考古学者、心理学者、人類学者その他の専門家の数が増加しているらしい。


言葉は喉の進化があったから

解剖学的に現生人類と同一である生物はエチオピアのオモ遺跡群の195000年前の化石記録で初めて現れる。


言語が数千年かけて発展してきたのか突然現れたのかという問題に関して、さらに注目すべき議論がある。

言語器官はヒトの系統が霊長類(チンプやボノボ)の系統から別れて以降に起源をもつということを示唆している。

はっきり言えば、言葉を話すことはヒトに特有な、喉頭の改良だということである。

図は、声門上、声門(声帯)、声門下、甲状腺

ここで、なぜ喉が改良されたかという問いがある。

答えは言葉を話すためである。

なぜ人間だけが言葉を話すように変化したのかという質問だが答えはない。

結局、神の御業ということになるのだろう。


出アフリカ説によれば、50000年前ごろにヒトの集団がアフリカを出発し、続いて、それまでヒト科動物が進出したことのなかったアメリカやオーストラリアをも含む世界各地に移住していった。

それ以前にはホモ・サピエンスは現代的な認知・言語能力を獲得しておらず、結果として移住するのに要求される技術や個体数を欠いていたので、彼らは50000年以上前にはアフリカを出たことがなかったと信じている学者もいる。

しかしここに謎がある。

解剖学的に現生人類と同じ生物がそんなに長い間アフリカに留まっていた理由が不明になるのだ。

アフリカは広大である。現在アフリカで母語として話される言語は2100種類以上、数え方によっては3000種類以上ある。

恐ろしいほどの多さである。

この事を思えば、人類は進化と同時に少グループなり、言葉が違うのですぐに別れていったと考えたほうが自然のような気がする。

そして言葉が違うのでアフリカから出ていった人間がいた。そんな考えは単純すぎるだろうか。

もう一つ深読みすれば、大きな集団にならないように、移動する理由があるように、言葉は別れていったとも考えられる。


一番最初は同じ言語だったか

出アフリカ説によれば、15万年ほど前のアフリカに生きていたと推定される女性、ミトコンドリア・イヴに今日生きている人は皆由来するという。

そうすると、一番最初の人類は、全員同じ言葉を話していたはずである。


一つ面白い説がある。

研究では、ほとんどの言語で、「nose(鼻 / 発音:ノウズ)」を意味する単語は、「 NEH (ネー)」や「 oo (ウー)」、あるいは「 ooze (ウーズ)」のような音が含まれていることが多いことが見出される。

他の単語では、「 bite (噛む)」、「 dog (犬)」、「 fish (魚)」、「 skin (肌)」、「star (星)」、「 water (水)」では、数千の単語の中に共通の音が含まれていることがわかった。

このような音の関連性は「 knee (膝)」、「 bone (骨)」、「 breasts (胸)」などのような身体の部位に関する単語で多く見られた。


「人類は共通の言語を話しているのかもしれないと科学者たちは言う」より
https://indeep.jp/all-mankind-may-speak-the-same-language/

4カ国語のネコの鳴き声《発音はすべて「ミャウ」》


なるほど

しかし、このページでも3700の言語の非常に多くで共通して通じている「音」が、日本語では、少なくとも、ここに取り上げられている例では、まったく「関連性がない」のです。と述べている。

どんなものにも例外がある。とすれば、日本語は例外中の例外なのかと思う。

どうも話の核心に近づきそうでもない展開なので別のアプローチで考えたい。

人は進化しているのか

いきなりすごいタイトルだが、昔から考えていたことがある。

現在でも遺伝子異常で、正常ではない子供が生まれてくる。

これを遺伝子疾患という。

なぜこんな事が起きるのかは、現代の医学ではかなりの数の原因が突き止められている。

しかし、どうして遺伝子の欠陥が出てくるのかという問いには誰にも答えられない。

なぜ人間は存在するのかと同じような質問だからだ。

これは科学の限界でもある。こうなれば、哲学や宗教の世界になってくる。

こんな話を覚えている。

聖書の話だと思うのだが、むかし生まれつき目が見えない人がいた。

その人を周りの人は虐げていたのだが、イエスはそのことに関して話す。

「なぜ目が見えないのに生まれてきたかを考えてはいけない」と諭す。

「目の見えない人がいれば手を差し伸べるべきである。何故目が見えないのかは、人間が考えるべきではない。それは神の考えだから人間にわかるわけがないからである」

こんなくだりだった。

その時、すごく納得したのを覚えている。

現代ならば遺伝子異常だよというかもしれないが、なぜ遺伝子異常が起きたのかは、二千年たった今でも不明だからである。

遺伝子の意思

色んな本の受け売りだが、遺伝子の話は実に不思議である。

遺伝子重複という現象がある。

生命進化の謎!遺伝子重複

重複した遺伝子では、単一の遺伝子よりもはるかに早く、経代に伴う変異が蓄積される。そのため、重複遺伝子は進化の主要な役目を担うと考えられており、100年以上も前から学界において支持されてきた。

たとえば生物の進化で目や耳を進化させる際、遺伝子重複の現象が起きて、生物は高度な器官を持てるようになった。

遺伝子重複は突然変異である。この突然変異で人類も進化しているという。

ダーウィンの進化論は因果論でもある。原因があって結果が存在する。

適者生存などの考え方はわかりやすい。しかし現実には突然変異が大進化の原動力である。

生物にいきなり目という高度な器官が誕生するなど適者生存では説明しようがないからである。

こうなると、大きな生命の意思というのを感じざるを得ないのだ。

利己的遺伝子

利己的遺伝子論というものがありイギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスが有名である。

【神と闘う男】進化論の雄、リチャード・ドーキンス

ただ利己的遺伝子論は遺伝子が意思を持って振る舞うと言う意味ではない

ここでは「利己的」とは「自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めること」と定義される。

つまり、遺伝子は自分を犠牲にしても他の遺伝子の生存を助けない事である。

となれば遺伝子には意志がなく、「結果的に意思を持っているように見えるだけ」だということになる。

様々な可能性を持つ多様なチャレンジの結果、生き残った遺伝子が出てきたということだろう。

しかしどんな事をすれば生きのびられるのかという事はわからない。

そこが重要である。

多様性

生き物すべてが、恐ろしく複雑な多様性を持っている。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる的な変化だろう。

ダーウィンのガラパゴスに見られるように、場所が隔離されただけで生き物は変化していく。

ガラパゴス

例えば遺伝子異常にしても、それを折り込み済みで生き物は生き続けているのだ。

暴論になるが、もし目の見えない人が生まれたとしても、生き物の多様性として容認されているという事になる。

もし、世界中に核戦争が起こり、地下に逃れたとする。その地下の生活では電気がなく、ほとんど暗闇の世界だったりとなった場合である。

そんな時目が見える人にとって暗闇の世界はかなりのストレスになるが、もともと目が見えない人にとって暗闇はストレスにならない。

そんな時代が何百年続いたとしたら、目の見えない人が健常者と呼ばれる時代になるだろう。

そんな妄想のような仮定の世界にも、生き物の多様化は対応しているとも言えるのだ。

そして話は飛躍して、何故言葉が違うのかという最初のタイトルに戻りたい。

同一言語の世界は素晴らしいのか

もし人類が同一言語だったらどうだろうか。

多分、文明進化の加速度は今と比べもにならないほど発達するスピードは早くなるだろう。

そしてその結果、人類はどうなっていたかというと、多分早く滅亡するのではないかと考える。

確かに単一言語の生物なら、その進化のスピードは早くなるかもしれないが、なにか争いが起きた場合一気に滅んでいたかもしれない。

例えば、みんな言葉が同じなら、地球が一つの国になる。その場合、突然変異の伝染病によって滅びる確立がかなり高くなるだろう。

一緒に仲良く暮らすということは、滅ぶ時は一緒に滅んでしまうということなのだ。

例えば交流が盛んなヨーロッパでは六世紀から東ローマ帝国を中心にペストが流行した。

その結果当時の人口の50パーセント近くが死亡し、ローマ帝国の崩壊を早めたと考えられている。

東ローマ帝国でのペストの大流行

また14世紀に流行した「黒死病」も同様で、わずか数年でヨーロッパ全体に広がり、人口の60パーセントが死亡したと考えられている。

これまでは害虫や害獣の急増によってペストが発生し、継続したと考えられてきた。

しかし研究の結果ネズミから人への感染は全体の4分の1に過ぎず、残りは人から人への感染であったと推定している。

https://wired.jp/2016/05/28/plague-village/
17世紀「黒死病の村」をデータ分析してわかった「意外な感染経路」

これからどういう事がわかるかというと、人類の言葉が統一されみんなが仲良く暮らす事は、常に大絶滅の危機をはらむという事である。

バベルの塔のほんとうの意味

言葉が同じなのでみんな協力し合って、天にも届く塔が作られた。

そこで神が人間の増長を戒め、言葉を変えてしまったという話だが意味深長である。

言葉が違うとその集合できる単位が小さくなり数は増える。

これは人類の多様化に繋がり、予測不能な未来に対応できるようになるということになる。

こう考えると、ホモ・サピエンスの言語能力は各人違う方向に進んでいっているということになるだろう。

生き物にとって、たやすく言葉が変化する能力こそが、ホモ・サピエンスの生き残る多様性を秘めている。

言葉が何故違うのかという問いの答えは、人類が増えていくと言葉が自然と変わっていく能力を持っているからというのが答えである。

生き物にとって、遺伝子にとって、ある程度のグループが存在し、それらが違うことが大切なのである。

そして言葉が違うことで、あんまり仲良くならない事が生き延びる上では大切だという事だろう。

グローバル化は人類の滅亡を早める

これまで世界中で推奨されてきた「グローバル化」だが、これは生物にとってとても危険な考え方である。

グローバリゼーション(英: globalization, globalisation)とは、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。

これは人間だけに起こっている現象である。まさにバベルの塔を作り始めているのかもしれない。

しかし最近はこの「グローバル化」のメリットよりもデメリットのほうの弊害が大きいと考えられている。

例えば13億の民を持つ中国での一党支配を推進する中国共産党の躍進に対する危機感や、それに対抗するアメリカファーストを唱えるトランプ大統領のナショナリズム等がそれを象徴していると思える。

日本での憲法改正問題もナショナリズムという言葉がキーワードになっていると思えるのだ。

現代の日本の方向性

今も地域によって言葉が違うのだが、テレビやラジオの発達で地域差はすくなってきていた。

が、新しいインターネットの発達で、世代間の分裂が生じてきている。これからは世代間でも、小グループ間でも、言葉の違いは顕著に起こるようになるだろう。

スマホ女子


「キモ可愛い。これヤバクね」

「無礼者め」

日本人はすでに進化しているのかも。

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引用出典 おもにウィキペディア

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