中央構造線と神社

日本は地震国だが、世界の中で見れば4位である。

国連開発計画の資料によると、1位中国(四川あたり)、2位インドネシア、3位イラン、4位日本だ。

地震はいずれも、プレートのぶつかり合いで起きるもので、この地震の多発による影響は、地域で見れば、世界三大宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教の発生に大きく関わっている。

気象庁 地震発生のプロット図

日本を見れば、ご存知火山国で、地図を見れば西日本には、大きな断層線が走っていることがわかる。

これを、地震構造帯とか中央構造線とよんでいて、この地域上に、古代の神社が建てられている事は、多くの人が指摘している。

主要な神社を描いてみたが、これはただの偶然ではないことは明白である。

中央構造線と古代の神社

九州の場合

九州地域の活断層の長期評価

九州地域の活断層上にある神社https://www.jishin.go.jp/evaluation/long_term_evaluation/regional_evaluation/kyushu-detail/

これもまた簡略した地図を書いたが、地震地帯には重要な神社がある。

秦氏の宇佐神宮

世界遺産の宗像神社

阿蘇火山の阿蘇神社

薩摩の桜島

長崎島原には雲仙の温泉神社があり、四面宮という顔が4つ有る御神体を祀っている。

上記の法則から言えば、大きな文化が発生しているはずで、宮崎康平氏の「まぼろしの邪馬台国」は奇しくも、島原を邪馬台国と比定している。

この事は見逃してはいけない事だと、再認識している。

非火山地域と火山地域の争い

しかし日本の神社はこれだけではない。

中央構造線上にないが、大きな文化が古代にはあった。

それは出雲と吉備である。

その文化の発生は、海運であり、出雲は朝鮮半島、吉備は瀬戸内海によって、大きな広がりを見せた。

しかし、結果的には大和に飲み込まれてしまっている。

これは、中央構造線上にある地域の方が、単純に強かったと言えるのでないだろうか。

推測だが、地震を多く体験している地域では、その信仰の力が強かったと考えられるのだ。

神武東征と中央構造線

図を見れば中央構造線と、日本のスタートとも言える神武東征が、かぶっていることがわかる。

天孫降臨の地、宮崎は比較的地震が少ない。

神武天皇はここからスタートしている。

地図から言えば、阿蘇山と桜島に挟まれた地域である。

言い換えれば、熊襲と薩摩に囲まれているともいえ、神武天皇は、その2つの勢力に押し出されるように、仕方無しに九州を出発したのかもしれない。

そして結果的には、中央構造線上を旅していく羽目になったとも言えるのだ。

文化の源

中央構造線には山脈があり、鉱物の宝庫でも有る。

その鉱物を求めて活動したのが、山岳宗教の修験道であり、鉱山を求めて日本中を旅した修験者は、外国のような一神教ではない多様な信仰を日本に根付かせている。

火山活動による地震は災である。

山は崩れ、津波が起きて人が大勢死んでいく。

しかし、災いばかりでないことを、大和の人たちは十分知っているのである。

日本の古代を考える時、中央構造線や地震帯は、とても大きな意味を持つことを改めて考えている。

 

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