天岩戸神話は日食ではない
これは寺田寅彦氏の「神話と地球物理学」の文を読んで考えたものであることを前置きしておく。
天岩戸神話は日食であるという説が、現在主流を占めている。
そうそうたる人たちが、その根拠を書いている。
天岩戸日食説
『天の磐戸』日食候補について - 国立天文台
https://www.nao.ac.jp/contents/about-naoj/reports/report-naoj/13-34-3.pdf日食でないとする論者もいるようだが、上記記事の中に、皆既日食ならではの特徴的な文言があることから、筆者らは、皆既日食体験が伝承として残ったものと考える。
特徴的な文言は2つある。
ひとつは、「長鳴鳥を聚めて、互いに長鳴せしむ」である。よく知られているように、皆既になると暗くなり、鳥や獣が騒ぐ。とくに鶏はときを告げる。
もうひとつは、「細に磐戸を開けて窺す」である。太陽としての天照大神がちらっと姿を見せる。これは、皆既が終わる瞬間に太陽が月の最大の凹凸から最初に光を投げかける、ダイヤモンドリング現象を説話化したものであると理解できる。(略)
卑弥呼時代の紀元247年、248年の日食のどちらかを「天の磐戸日食」とし、卑弥呼と天照大神を同一視する仮説に人気が集中している(略)
國學院大學メディア 文学部教授 谷口 雅博
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/87667(略)この話は、日食に対する人々恐れや驚きが神話化されたものと見ることが出来ます。
これ以外にも論文は多い。理解できる部分も多く納得も出来る。
しかし、私は反論したい。
天岩戸神話は日食ではないと思う理由
古事記に書かれている内容は、日本に起こった天変地異を題材にしているという事については同意見である。
そして、天岩戸に天照が隠れる理由が古事記には書かれている。
なぜ天照は隠れたかといえば、
建速須佐之男命は、高天原で、勝ちに任せて田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりして乱暴を働いた。(略)
建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。
ウィキペディア
この結果、スサノウの狼藉に天照は怒って天岩戸に引き篭った。
天照の天岩戸の件は、スサノウの大暴れのせいなのである。
ここに注目したい。
天照、月読、スサノウは三貴神と呼ばれている重要な神様である。
役割は、天照は太陽、月読は月、ここまではストレートなのだが、スサノウはなんの象徴なのかと考えれば、スサノウは災害を象徴していると思われる。
ここまでは皆さんも異論はないと思う。
スサノウの自分勝手な大暴れを見れば、おそらく火山の爆発を象徴している。
高天原の機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れ、田の畔を壊して溝を埋めたりなどは、火山の噴火による火砕流などの被害を象徴している。
その結果、天照は岩戸に隠れたのだ。
これは噴煙が天空を覆い太陽を隠してしまった現象を指す。
古代の火山の噴火の記録は当然ないが、火山灰の降り積もりや地形の変化で、火山の噴火の事実は推測されている。
日食は現代科学により古代に起こった日時を推定できるが、候補として紀元247年、248年の日食がよく取り上げられている。
この時期が卑弥呼の時代にかかるので、卑弥呼と台与の政権交代の理由として挙げられている。
この話は興味をそそられるが、日食が見えるのは地域が限定されている。
また日食になり、復活するまでの時間は短い。
さらに、実害はない。
スサノウの大暴れで、天照が怒って日食が起きたという説も辻褄は合うが、古事記の話の流れを読めば、火山の噴煙で太陽が長期間隠れたという話のほうが、リアリティが強いと思う。
古事記のリアリティは随所に現れている。
例えば国産みだが、イザナギとイザナミが別天津神たちから与えられた天沼矛(あめのぬぼこ)で地上をかき混ぜて、その滴りで淤能碁呂島が出来る。
天沼矛とは武器である。その武器は別天津神からもらったとある。
別天津神は大和の神というより、地球上の神といっていい。
その神からもらった矛は、日本産ではない鉄の武器ということである。
鉄は朝鮮半島南部で生産され日本に渡ってきたものだ。
つまり、イザナギとイザナミは鉄の武器で、大和を統一したのである。
その後の国産みは、有名なセックスの描写である。そのリアルさは抜群である。
それ以外にも沢山あるが省略する。
古事記では、天照大御神は天岩戸に引き篭った。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生したとある。
日食ではさまざまな禍は発生しない。
日食はドラマチックだが、実害はない天体ショーである。もちろん古代の人がびっくりしたと想像できるが、回数も少なく地域限定でもある。
火山の噴煙で太陽が隠れて、地上に噴煙被害や農地に冷害が起こることに比べれば、インパクトが違いすぎるのだ。
第一、太陽が見えなくなるという現象は日頃から起きている。
雨の日もそうだし、曇だって太陽は見えない。太陽は毎日西の空に沈んでいくし、日食だって、一瞬雲が太陽を隠したと思うやつのほうが多いのではないか。
現代では、日食が太陽と月が重なり合う珍しい現象だと知っているから、大騒ぎをするだけで、古代人は知る由もないのだ。
天照が天岩戸に引きこもった後の話で、アメノウズメという踊り子が登場する。
天手力男神が岩戸の脇に隠れ、神々は大宴会をして天照を引きずり出そうと計画し実行した。
この話を、どう解釈するかというのも重要だと思う。
なぜ、天照という女神の前で、女性のアメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊ったのか。
この事で天照男性論が出ているのだがそれは本章には関係ないので省く。
私はこの話を、火山噴火の災いの中、民衆はまぐわいをし、子供を生み、明るく振舞、生活を維持させていた事だと解釈する。
それは、近年の津波被害、地震被害に際して、地域の人々は粛々と生活し、明るさと諦めで乗り越えようとする地域の人々を連想させる。
現代まで続くお祭りの起源と捉えても良い。
日本の祭りには奇抜なものも多い。国府宮はだか祭、火祭りなど激しいものや、男性の巨大なシンボルを引き回す、神奈川かなまら祭りなどもある。
なぜそんな奇抜な祭りをするかは、その地域の事情があると思うのだが、自然災害が起こった時でも、民衆は派手な祭りをして、地域の活性を鼓舞してきたのだと思う。
日本書紀では、この大宴会の話はなく、
第七段一書(二)
天糠戸神に鏡を、太玉命に布帛を、豊玉に玉を作らせた。また、山雷神に多くの玉で飾った榊を、野槌神に多くの玉で飾った小竹を作らせた。それらの品々を持ち寄って集まり、天児屋命が神祝を述べたため、日神は磐戸を開けて出てきた。
第七段一書(三)
日神は「これまで人がいろいろなことを申してきたが、未だこのように美しい言葉を聞いたことはなかった」と言って、磐戸を少し開けて様子を窺った。その時、磐戸の側に隠れていた天手力雄神が引き開けると、日神の光が国中に満ち溢れた、とある。
こちらの話のほうが、面白さはないが実情に近いと感じる。
余談
余談だが寺田寅彦氏の「神話と地球物理学」ではヤマタノオロチについてもふれている。
ヤマタノオロチは胴体は八つだがしっぽは一つだ。
これは、火山から流れ出した幾筋もの溶岩のことをいう。
地上に追い出されたスサノウは、酒樽を用意させ、大蛇を酔わせて退治する。
この酒樽だが、山の麓にある貯水池のことで、溶岩が貯水池に入ると勢いを弱めたことを意味する。
さらにスサノウはヤマタノオロチのしっぽから剣を取り出したと書かれている。
この剣が草薙剣(くさなぎのつるぎ)だ。
これ以降は私が考えた。
火山の功罪を上げると、火山は鉱物を産出するという面がある。
ヤマタノオロチは鉱物を生み出す溶岩だった。だからしっぽから剣が出たのだ。
更に草薙剣(くさなぎのつるぎ)という名前だ。
草を薙ぐ物といえば、農具である。そしてその剣をスサノウは天照に献上する。
そして三種の神器の一つになったのである。
大和で大切なものは、地上を照らす太陽(鏡)と農具(草薙剣)と勾玉である。
私は勾玉を耳飾りと思うが、神に捧げる装飾品と考え信仰(勾玉)と捉えた。
記紀では、卑弥呼のことも、彗星や日食などの天体ショーの逸話はない。
それは、大和の人々にとって、生活に関わる大事件ではなかったからだ。
そう考えれば、天岩戸神話は災害から復旧をした古代人の記録だと思えるのである。