蘇我氏の名前が変

蘇我氏は、飛鳥時代にめちゃくちゃ権力を持っていた豪族。仏教の普及に貢献し、天皇に対してもかなり影響力のあった一族です。

それ以上に気になるのがその名前のクセの強さ。

蘇我氏の代表的な人物を並べてみると…

蘇我馬子(そがのうまこ)

蘇我入鹿(そがのいるか)

蘇我蝦夷(そがのえみし)

蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)

ではなぜ、蘇我氏の名前はこんなにインパクト強めなのか?

理由は大きく4つあります。

① 呪術的・信仰的な意味があった?
「馬子」や「入鹿」のように、動物の名前を入れるのは神聖さや霊的な力を表すためだったとも

馬は移動手段や軍事的にも重要だったし、鹿も神の使いとされることが多い動物。名前にパワーを込めていた。

② 名前でインパクト勝負してた
当時はまだ姓や家柄が整っていなかった時代。つまり、個人名がその人のブランドだった。

目立つ名前=強さの象徴だったのかもしれません。

③ 外来文化にかぶれてた?

蘇我氏は、中国や朝鮮半島の文化を積極的に取り入れていた一族。仏教をいち早く取り入れたのも彼らです。

その影響で、漢字やネーミングが“大陸風”に寄っていった可能性も。

「倉山田石川麻呂」なんてまさにその例で、地名+家名+個人名+敬称がセットになってて、ほぼ一人で家系図レベル。

④ とにかく権力者だった

蘇我氏は政治の中枢にいて、天皇家と婚姻関係も深く、気に入らない相手は粛清もするような、とんでもない力を持った一族でした。

そんな彼らにとっては、変わった名前=誇りとステータスの証だったとも言えるでしょう。

名前に込められた時代の空気

蘇我氏の変な名前には、ちゃんと意味があるんです。

呪術や信仰の影響

名前が名刺代わり

外来文化への憧れ

権力者としてのブランディング

名前一つとっても、当時の価値観や権力構造が見えてくる。

蘇我氏と聖徳太子

聖徳太子の母方の祖父: 聖徳太子の母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、蘇我稲目(そがのいなめ)の娘です。

つまり、蘇我稲目は聖徳太子の母方の祖父にあたります。

聖徳太子の妃: 聖徳太子の妃の一人に、蘇我馬子(そがのうまこ)の娘である刀自古郎女(とじこのいらつめ)がいました。

このため、蘇我馬子は聖徳太子の義理の父にあたります。

聖徳太子の父方の祖母と叔母: 聖徳太子の父である用明天皇(ようめいてんのう)の母(つまり聖徳太子の父方の祖母)と、用明天皇の妃の一人(聖徳太子の父方の叔母)も蘇我稲目の娘です。

このように、聖徳太子は母方と父方の両方で蘇我氏と深い血縁関係にあり、さらに自身の妃を通じて姻戚関係にもありました。

このように、蘇我氏は経済力、軍事力、天皇との姻戚関係、仏教との結びつき、そして政治の実務能力という多方面の力を背景に、飛鳥時代の政治において絶大な影響力を持ったのです。

聖徳太子との協力関係も、蘇我氏の重要性を高める一因となりました。

 

飛鳥時代は蘇我氏が日本をリードしていた事は間違いない事実でした。

 

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